中央公論 1999年7月号 掲載

米国に殺到するドイツ企業                           熊谷 徹

いまドイツ経済は空前の合併・買収ブ−ムにわいている。その中でもダイムラ−・クライスラ−の誕生と、ドイツ銀行のバンカ−ズ・トラスト買収は、世界的に注目を集めた。ドイツの大企業が米国の大手企業に対して本格的に買収を仕掛けるというケ−スは珍しい動きだからである。彼らは、米国にとどまらず、日本を含めた他国の企業にも標的を合わせつつある。今回はこの二つの巨大合併に焦点を当てながら、ドイツ企業がなぜ米国企業に食指を伸ばしているのかを検証する。

1 ダイムラ−の賭け

 「企業の成長の鍵は、グロ−バル化だ。ダイムラ−・クライスラ−の誕生は、経営難に陥った企業が救済されるという従来の合併とは全く異なる、強者同士の結婚である」九八年十一月十七日、ダイムラ−・クライスラ−が正式にスタ−トし、その株が世界中の株式市場で取引され始めると、同社は二大自動車メ−カ−の合併をこう位置づけ、「真のグロ−バル企業の誕生」を謳い上げた。製造業では史上最大となった今回の合併で、売上高二六00億マルク(約一八兆二00億円)、生産台数四四0万台(いずれも九八年度)の巨大自動車メ−カ−が産声を上げた。ダイムラ−・ベンツとクライスラ−は、売上高ではGMとフォ−ドに次ぐ世界第三位の自動車メ−カ−の座に一気に躍り出たことになる。

 両社は対等のパ−トナ−の合併という点を強調しているが、欧州では「ダイムラ−によるクライスラ−の事実上の買収」という見方が強い。たとえば、新会社の本社は登記上ドイツに置かれたほか、監査役会に労働者の代表も参加させるドイツ式の企業形態を採用している。新会社の株式のうち旧ダイムラ−の株主の保有比率は、五八%と旧クライスラ−側を上回る。さらに現在は旧ダイムラ−のJ・シュレンプ社長と旧クライスラ−のR・イ−トン会長がCEO(会長兼最高経営責任者)になっているが、数年後にはイ−トン氏がCEOの座を退き、シュレンプ氏が最高責任者として新会社を率いる予定だ。合併について九八年一月に最初に話をもちかけたのも、ドイツ側だった。

 シュレンプ会長はこの合併について「一九二六年のダイムラ−社とベンツ社の合併以来、我が社にとって最も重要な決断だった」と語るが、すでにドイツでは最大の企業グル−プだったダイムラ−・ベンツが、一説には三五0億ドル(約四兆二000億円)にものぼると言われる費用をかけて、米国の自動車業界の第三位であるクライスラ−の事実上の買収に踏み切った理由はどこにあるのだろうか。  彼は、昨年九月にシュトゥットガルトで開いた旧ダイムラ−・ベンツ社の臨時株主総会で、今回の合併が、経済のグロ−バル化への解答であることを強調している。

 「過去三0年間に自動車メ−カ−の数は四二社から一七社に減ったが、この集中傾向は今後も続くだろう。従って、我々は、市場の変化に受け身に対応するのではなく、むしろ能動的に市場の変化の仕方に影響を及ぼすために、合併によって戦略的な立場を強化しようとしているのだ。我々が経済グロ−バル化の時代に、国際競争の中で収益性を高めながら成長するためには、クライスラ−は理想的なパ−トナ−である」 

 ダイムラ−の決断の背景には、グロ−バル化の必要性に目覚めたドイツ企業に共通の目標がある。それは二一世紀に入ってから激化する価格競争・コスト削減競争に生き残るための改革や準備を始めるということである。自動車業界に関して言えば、余剰生産能力の増加という深刻な問題がある。シュレンプ会長は今年二月にダボスで開かれた経済フォ−ラムで、「世界の自動車メ−カ−の生産能力は年間約七四00万台に達するが、需要は年間五二00万台しかない」と指摘している。これは、世界中で毎年二二00万台分もの生産能力が余っていることを意味し、工場の稼動率の大幅な低下につながりかねない。

 さらに、アジアや南米では通貨・経済危機によって購買力が下がり、需要が低下したばかりでなく、韓国などの国々が今後割安の車を欧米に輸出することによって、経済危機の後遺症から脱出しようとする可能性もある。この場合、生産能力のだぶつきがさらに悪化する恐れがある。価格競争がさらに激化し、自動車メ−カ−の収益性への圧力が強まるかもしれない。

 合併は、こうした脅威に対抗するための一つの解答である。特に新車の開発費用はふくらみ、開発サイクルも短くなる一方である。ドイツ自動車工業連合会によると、この国の自動車メ−カ−の研究開発費用は、九0年から九五年までに四0%増え、約一三0億マルク(約九一00億円)に達している。莫大な研究開発費用をカバ−しつつ利益を出すには、合併によって規模の大きな企業に成長し、販売台数や市場占有率を増やすととともに、コストを削減する必要がある。実際ダイムラ−・クライスラ−によると、合併がもたらす費用の節約効果は、九九年だけでも二五億マルク(約一七五0億円)にのぼる。

 同時に、競争の激しい時代には、頻繁に変わる消費者の嗜好に合わせて、多種多様な商品を提供できる態勢を整えなくてはならない。「ダイムラ−とクライスラ−の商品構成は、ほぼ完璧にお互いを補完しあう。重複する部分は少ない」シュレンプ会長が強調するように、二社が得意とする分野は大きく異なる。例えばダイムラ−は、メルセデス・ベンツのSクラスやEクラスに代表されるように、高級車の分野では押しも押されぬ地位を築いている。それにもかかわらず、メルセデス・ベンツの米国での乗用車の販売台数は九五年にわずか七万七000台で、西欧の五分の一にすぎなかった。米国の高級乗用車の市場でのシェアも八・七%に留まっていた。

 これに対しクライスラ−は、ボエジャ−などのミニバンやジ−プといった車種では、ダイムラ−の追随を許さない圧倒的な強味を持つ。さらにクライスラ−は、米国の自動車メ−カ−の中でも斬新なデザイン、開発時間の短さで知られており、保守的で高い技術性、安全性を重視するダイムラ−の設計哲学に新しい血をもたらすかもしれない。ドイツ側はクライスラ−のノウハウを手に入れることで、米国という世界で最も重要な自動車市場で、消費者の嗜好をこれまで以上に詳細に知り、マ−ケットにより深く食い込むための突破口を得たと言える。

 ダイムラ−の決断は、同社の乗用車の六七%(九五年度)が販売される欧州市場でも重要な意味を持つ。今年になって欧州では、ユ−ロ導入によって、二億九000万人という米国を上回る人口を持つ市場が生まれた。長期的にはこの市場は中欧・東欧にも拡大し、三億人を超える巨大マ−ケットに成長する可能性を秘めている。この地域では、消費者の嗜好や所得水準が国によって千差万別であるため、ベンツのような高級車を売っているだけでは限界がある。その意味で、ダイムラ−がクライスラ−の事実上の買収によって商品ラインを一挙に拡大したことは、ユ−ロ通貨圏の誕生への解答でもあるのだ。

 イ−トン会長も「旧クライスラ−の欧州での販売台数は、わずか一0万六000台だったが、これを二〜三年以内に三倍に増やす。欧州の人々の好みに合った製品を開発することによって、購買欲を引き出したい」と述べ、この地域でのシェア拡大を狙っていることを明らかにした。また新会社は合併によって、販売台数でフォ−ドを追い抜き、世界第二位の自動車メ−カ−の座につく野望を持っていることも示唆している。

 興味深いのは、ダイムラ−・ベンツが九三年にはニュ−ヨ−ク株式市場でドイツ企業としては初めて株式を公開していたことである。現在世界のM&A(合併・買収)市場では、株券を通貨として使うのが一般的になりつつある。つまり買収相手の企業の株式を現金で買い取るのではなく、新会社の株式と交換するという手法だ。ダイムラ−・クライスラ−は、五年前に米国で株式を公開していたため、この方法でクライスラ−との合併をスム−ズに終えることができた。その意味でこの企業は、ドイツの他の企業に比べると、米国市場攻略のための布石を早くから打つだけの先見性を持っていたと言うことができる。

 さて欧米の自動車業界では、ダイムラ−・クライスラ−の誕生も、合併ブ−ムと業界再編の序曲に過ぎないという見方が強い。企業コンサルタント会社のプライス・ウォ−タ−ハウスが昨年実施した調査によると、九七年には世界中の自動車関連業界で七四七件の合併や買収があり、この内のほぼ半分が欧州の自動車関連産業に関するものだった。九八年以降もM&Aの件数は増加しているものと予想される。例えばBMW社とフォルクスワ−ゲン社が英国の名門ロ−ルス・ロイスの買収をめぐって激しい攻防戦を演じ、BMW社が長期的にはロ−ルスロイスの商標を使用する権利を取得した。しかしBMW社自体も以前買収したロ−バ−社によって巨額の損失をこうむったことから、社長が解任されるなど混乱が続いており、フォルクスワ−ゲン社などがBMW社への資本参加に強い関心を示している。さらに今年に入ってからはフォ−ド社がボルボ社の乗用車部門を買収することを発表している。

 同時に、プライス・ウォ−タ−ハウスでは自動車メ−カ−の合併によって、部品を供給する会社に対してもコストの削減を求める圧力が高まり、こうした会社の間でも合併の波が広がるだろうと分析している。

 例えば旧ダイムラ−の部品供給会社は、技術的に高品質の部品を供給することで知られているが、旧クライスラ−に部品を納入する会社は、価格が割安である。このため、ダイムラ−・クライスラ−に部品を供給する会社は、これまでと同じ高い品質を維持しながら、価格を引き下げることを要求される。今年二月に世界第三位の自動車部品会社であるドイツのR・ボッシュが、日本の部品会社ゼクセルを子会社化することを発表したのは、こうした動きの一部にすぎない。

 プライス・ウォ−タ−ハウスでは、「アジアでの経済危機によって余剰生産能力がさらに増えるため、自動車メ−カ−は買収を行いコストを厳しく管理する以外に、利益を確保する方法はない」と結論づけている。

 もちろん買収の成功は長い道程の最初の一歩にすぎず、シュレンプ氏の鼎の軽重が問われるのは、両社の力を結集して合併によるプラスの効果を引き出せるかどうかにある。旧ダイムラ−社は、合併買収では苦い経験も持っている。同社は八0年代後半以降、ロイタ−前社長の「テクノロジ−企業集団を創造する」という大号令の下、電機メ−カ−のAEG,航空機メ−カ−のドルニエなどに次々に資本参加したが、この試みは五七億マルク(約三九九0億円)の損失を生み出し、大失敗に終わったのだ。

 前社長の戦略が欧州を中心としていたのに対し、シュレンプ氏の今回の挑戦は、大西洋を超えた拡大をめざす、一段と野心的な物である。また彼は企業買収による拡大戦略で知られるジェネラル・エレクトリック社のJ・ウェルチ会長の信奉者と言われる。それだけにシュレンプ氏は、旧ダイムラ−の失敗にもひるまず、今後も合併・買収攻勢を続けるに違いない。欧州の製造業界では、「彼の次の標的は、航空宇宙産業における国際的な合併だ」という見方が出ている。ドイツ企業主導の、国際的な合従連衡は、まだ始まったばかりなのである。

 

2 ドイツ銀行の決断

 

 ドイツ企業による米国企業買収の波は、金融業界にも広がりつつある。昨年十一月二三日、ドイツの銀行界では最大手のドイッチェ・バンク(ドイツ銀行)が、米国で第八位のバンカ−ズ・トラスト(以下BTとする)を買収すると発表して世界中の金融関係者の注目を集めた。この買収によってドイツ銀行の資産規模は一兆四一八億マルク(約九九兆二六00億円)に達し、フランスのSBP銀行に次いで世界で二番目の規模を持つ銀行となる。また同行は、二00二年にはBTが一0%から一五%の増益をもたらすとしている。ドイツ銀行に対しては、ナチスによる弾圧の被害者や遺族が、戦争中にナチスが不当に奪った財産の扱いなどをめぐって米国で訴訟を起こしているため、買収交渉が長引いているが、この問題の処理がスム−ズに運び、米国の監督官庁が青信号を出せば、今年中にも買収が成立する見込みだ。

 この買収の中身を分析すると、ドイツ銀行がこれまでなかなか伸ばすことができなかった投資銀行としての側面を、BTを取り込むことによって、一挙に開拓しようとしていることがわかる。R・ブロイア−頭取は、昨年十一月三十日の記者会見でこう説明している。「我々はこれまでいくつかの買収候補を検討してきたが、幅広い金融サ−ビスを行っているBTは、我々のグロ−バルな企業活動を理想的な形で補うため、戦略的な見地から最も良いパ−トナ−だと判断した。この銀行は、我々が米国で拡大するための橋頭堡であり、現地でのビジネスの収益性と能率を飛躍的に高めるだろう」

 ドイツ銀行は、BTの一株に対し九三ドルを支払うと発表している。つまりBTの買収価格は約一七0億マルク(約一兆一九00億円)にも達するわけだが、これはドイツ銀行の九八年九月末の自己資本の三六%に相当する額である。ドイツの金融界では「買収発表時のBTの株価を二0%上回り、簿価の二倍にも達する高い買物」という声も出ている。ドイツ銀行が、これだけの金額を積んでまで米国の投資銀行を手に入れようとした理由はどこにあるのだろうか。

 まず、ドイツ銀行はBTが持つ証券分野のノウハウに着目した。具体的にはブロイア−頭取は、LBO(買収の対象となる企業の資産を担保とした借入金による買収)や、格付けは低いが高利回りの債券を使った金融手法を挙げている。欧州、特にドイツではこの種の証券分野が米国に比べると未発達であるため、今後は成長する可能性がある。ドイツ銀行は、この分野で他の金融機関に先んじるため、ウォ−ル街の「先端技術」を取り入れようとしているのだ。また各国で社会保障制度の赤字が膨らみ、特に年金制度の維持が困難になりつつあることから、金融機関にとっては資産の運用サ−ビスやカストディ−(有価証券保管業務)といったビジネスが重要性を増しつつある。この分野でも、ドイツ銀行は今回の買収によって世界で四番目の地位を占めることになった。特にカストディ−業務でのドイツ銀行の保管額は、四兆ドル(約四八0兆円)となり、欧州でトップの座についた。「資産運用、カストディ−、そして高利回り債券こそが、ユ−ロ通貨圏で今後ドイツ銀行の成長を支える分野であり、今や我々はBTの豊富な経験とスケ−ル・メリットを享受できることになった」

 またユ−ロ導入とともに、ドイツ国内・欧州域内の企業間の合併・買収(M&A)も急増しているが、M&Aについて顧客にアドバイスや資金調達を行うサ−ビスは、ドイツ銀行の得意とする分野ではなかった。

 これに対しBTは、M&Aに関するアドバイス業務と資金調達に特化した投資銀行二社(ウォルフェンゾ−ンおよびアレックス・ブラウン)を近年買収して、ノウハウを増強したばかりだった。この内の一社は大手企業間のM&A、もう一社は成長企業を得意分野とする。ブロイア−頭取は、このこともドイツ銀行にとって大きな魅力だったことを認める。「我々はM&Aに強い人材を探していたが、BTのノウハウを取り入れることで、ヨ−ロッパそして世界中でM&Aに関するサ−ビスを展開するための基礎を作ることができた。今後ドイツ銀行は、ハイテク産業、健康・医療関連産業、メディア関連産業のM&Aについて強味を発揮するだろう」

 同時にブロイア−頭取は、顧客の活動がグロ−バル化していくことに合わせて、今回の買収が必要となったという事情も示唆する。ドイツ銀行のビジネスの要は、ホ−ムグラウンドであるユ−ロ通貨圏であることに変わりはない。しかしこの銀行にとって最も重要な顧客であるドイツの大企業の間では、米国でのビジネスの割合が急増している。このため、米国に進出している顧客からは当然「ドイツ銀行も米国の金融市場が提供するようなサ−ビスをできないのか」という声が上がってくる。ドイツ銀行が欧州だけに留まり、このようなサ−ビスを十分提供することができなかったら、顧客を失うことになりかねない。今回の買収は、「顧客のグロ−バル化」への解答でもあるのだ。 

 しかしこれまでグロ−バル化がそれほど進んでいなかったドイツ銀行にとっては、試練も多い。そのことは、ダイムラ−・クライスラ−の合併と比較してみても、一目瞭然である。たとえばダイムラ−・ベンツが六年前に米国の株式市場で株式を公開していたために、株式交換という形でクライスラ−の合併を乗り切ることができたのに対し、米国で株式を公開していないドイツ銀行は、BTの株を現金で取得するという形で買収を行わなくてはならない。ドイツ銀行はこの資金を調達するために四0億マルク(約二八00億円)の増資などの追加措置を迫られる。最近では株券が企業買収の「通貨」として用いられるケ−スが増えていることを考えると、ドイツ銀行のやり方は「古典的」に見える。

 またドイツ銀行は、投資銀行の買収では過去に苦い経験を持っている。不慣れだったこの分野に本格的に参入するために、八九年に英国のモルガン・グレンフェルを買い取ったものの、統合は予想以上に難航した。一説には、一四0人の経験豊かなディ−ラ−が買収後の処遇に不満を抱いて辞表を出し、他の銀行に移籍したと伝えられる。欧州では、この買収は「うまくいかなかった合併の典型的な例」として、しばしば引き合いに出される。金融関係者の間では、今回の買収についても、伝統を重んじるドイツの保守的な大銀行と、ディ−ラ−気質の強いウォ−ル街の投資銀行の性格の違いを懸念する声が上がっている。モルガン・グレンフェル買収の失敗から学び、米独間のメンタリティ−の違いを克服して、真のグロ−バル企業に成長できるかどうか。ドイツ銀行の戦いは始まったばかりである。

3 ドイツ企業の対米買収攻勢

 ダイムラ−やドイツ銀行の動きは、ドイツ企業の合併・買収戦略に転機が訪れたことを象徴している。実際、大西洋を超えるグロ−バル化に遅れていたドイツ企業の間で、米国での買収活動がようやく目立ち始めた。

 ドイツの企業買収や資本参加に関するコンサルタント活動や仲介を専門に行っている、M&Aインタ−ナショナル社(フランクフルト近郊)によると、これまでドイツ企業はユ−ロの導入に備えて、欧州域内での買収に熱心だった。実際、九六年・九七年にはドイツ企業に買われた企業の中では、フランスの会社が最も多かった。ところが九八年には、買収相手としては米国企業の数がフランスを追い抜いて、トップの座に躍り出た。

 ドイツ企業が九八年に米国で買収した企業の数は、九四年の二七社から二・四倍に増えて、六四社となった。ドイツ企業が一年間に買収する外国企業の総数は、過去四年間に六九%増えたが、その内米国で一年間に買収された企業の数は、一三七%とほぼ二倍の勢いで増えている。ドイツ企業が買収を行うマ−ケットとしては、米国の重要性が群を抜いて高まりつつあるのだ。

 ちなみに米国側のドイツへの投資も盛んになる一方で、九八年には二二五社ものドイツ企業が米国企業に買収されている。ユ−ロ通貨圏の中で最も重要な市場であるドイツに足場を確保しようという戦略だ。

 M&Aインタ−ナショナルによると、ドイツ企業が九八年に買い手または売り手として関与した合併・買収の件数は、二000件の大台を突破。推定買収金額の合計も、ダイムラ−・クライスラ−などの大型買収があったために、九八年には前年のほぼ三倍にはね上がり、四四二0億マルク(約三0兆九四00億円)に達している。また九八年に金額が最も大きかった、ドイツ関連の買収一0件の内、九件ではドイツ企業が買い手となっていた。世界のM&A市場の規模は、三兆七000億マルク(約二五九兆円)と推定されているが、ドイツ関連のM&Aはそのほぼ一0%を占めていることになる。

 「九八年は、年間売上高が一0億マルク(約七00億円)を超える大企業の合併・買収が増えたのが特徴だった。今後も、国際競争に生き残るための大型買収が増えるだろう。ドイツ企業の経営者たちの間でも、世代交替によって、M&Aについての考え方が随分変わってきた」 

 七七年以来、ドイツの企業買収マ−ケットを観察してきたM&Aインタ−ナショナルのA・ブルックハルト社長は言う。以前のドイツ企業は外国に生産拠点を作っても、大がかりな合併・買収には積極的ではなかった。資本参加する場合でも、まず小さいシェアを買って、数年間様子を見るようなケ−スが多かったという。

 ところが近年では、ダイムラ−やドイツ銀行のケ−スのように、経済グロ−バル化の時代に避けて通ることができない米国市場を標的とし、マ−ケットシェアや、自社の持っていない商品、新しいノウハウを確保するための積極的な合併・買収が増えてきている。この国の経営者の間でも、初めからシェアの大半を入手しようとする、米国型の買収哲学が広がりつつあるのだ。 

 ドイツの経済界では、ダイムラ−などの巨大合併の後にも、企業買収への準備を整える大企業が目立つ。例えば大手電機メ−カ−のシ−メンスは、五億マルク(約三五0億円)の増資を計画しているが、これは米国で将来情報通信分野の企業などを買収するための資金の一部と見られている。同社は、二00一年に米国で株式を公開するために、近く米国の会計方式(US−GAAP)を取り入れる予定である。

 また資産規模ではドイツ第三位のドレスナ−銀行でも、ドイツ銀行のBT買収計画が公表された直後、B・ヴァルタ−頭取が「我々にとっても、他の金融機関との合併は大いに考えられる選択肢の一つである」と述べて、具体的に買収を検討していることを示唆している。他のドイツ企業も、競争相手が九八年の一連の巨大合併によって脚光を浴びたのを目のあたりにし、自社の存在感が薄れることを恐れて、さらなる買収に走る可能性がある。4 米独の経済界を結ぶ深層底流

 「米欧の間の経済関係は世界で最強だ」米国のT・ピッカリング、E・エイゼンスタ−ト両国務次官はユ−ロ導入直後にウォ−ルストリ−ト・ジャ−ナル紙に寄せた論文の中で強調する。米国と欧州の間の貿易・投資関係は毎年二兆ドル(約二四0兆円)にのぼる。米国の五0州の内、四一の州では欧州諸国が最大の投資国である。テキサスへの欧州の投資額だけでも、米国の日本への投資額を上回る。米国の工場労働者の十二人に一人は、欧州企業が所有する工場で働いている。

 その中でも、ドイツ企業の果たす役割はここ数年重要になりつつある。ダイムラ−やドイツ銀行による買収も、ドイツから米国に流れ込む資金の奔流の一部にすぎない。実際、ドイツ企業の米国での買収・投資活動はここ数年勢いを増す一方である。ドイツ連邦銀行によると、ドイツ企業の対米直接投資の額は、九四年から二年間で三一%増加し、九0八億六五00万マルク(約六兆三六00億円)に達した。この伸び率は、ドイツの対外直接投資全体の成長率(二七%)を上回っている。またドイツの対外直接投資の約二二%が米国に流れ込んでいることになる。

 特に急激な伸びを見せているのが、米国での生産拠点などにドイツ企業が行う投資の額で、九三年からの五年間で実に四四倍に増えて六八五億四六00万マルク(約四兆七九八0億円)に達している。特に九八年の十一月に額が急激に増えたのは、ダイムラ−・クライスラ−誕生が原因と見られる。

 一方、日本貿易振興会によると、九七年の日本企業の米国への直接投資額は、二0七億六九00万ドル(約二兆四七一0億円)にとどまっている。しかも経済状態の悪化を反映して、九五年以来、年々減少している。対外直接投資の統計のとり方は国ごとに異なるため、日本とドイツの数字を単純に比較することはできないが、少なくともここ数年の対米直接投資に関しては、ドイツ企業が日本企業よりもはるかに積極的であるという図式は、明確に浮かび上がっている。

 しかし、第二次世界大戦中に敵国だった米国とドイツの間の密接な経済関係は、一朝一夕に作られたものではない。その基礎は、マ−シャル・プランに始まる米国の西ドイツへの経済援助、米国を頂点とする安全保障体制への西ドイツの全面的な参画など、様々な経済的・政治的関係の改善を通じて、半世紀にわたって積み上げられてきたものである。

 米独間の民間交流も、両国間の経済関係を強化する上で重要な役割を果たしている。ボンに本部を持つ民間交流団体「アトランティック・ブリュッケ(大西洋の懸け橋)」は、一九五二年に米国・カナダと西ドイツ間の相互理解を深める目的で創設された。一年おきに開催される「米独会議」には、両国の政治・経済・文化・メディアの領域で活躍する人々一00人が参加し、様々なテ−マについて討議し、個人的な交流を深める。

 三00人に限定されているドイツ側の会員名簿は、ドイツの政界・経済界・学界の紳士録そのものである。ダイムラ−・クライスラ−のシュレンプ会長、コッパ−元ドイツ銀行頭取、ペ−ル元ドイツ連邦銀行総裁、シャルピング国防大臣、リュ−エ元国防大臣らが名を連ねている。会合には、コ−ル元首相やブッシュ元大統領が出席することもあるという。民間企業の社長や取締役も多数参加している。七0年代からは、将来の米独関係を担う政界・経済界の若手有識者の会議も開いており、三五才までの米国人・ドイツ人が人脈を広げるための機会を提供している。欧米のビジネスの世界でも、個人的な人間関係が大切なことは言うまでもない。その意味で、「アトランティック・ブリュッケ」の活動を通じ、半世紀近くにわたって築かれてきた米独間の人脈は、両国の今日の経済関係にとって重要な役割を演じていると言うことができる。

 さて意中の企業を買収することに成功しても、それは出発点にすぎない。企業を統合する過程も合併そのものに劣らず重要であり、困難も多い。統合が軌道に乗り、業績が向上しなくては、巨額の資金を注ぎ込む買収の意味はない。国境を超えた合併買収でしばしば問題となるのが、国ごとの経営哲学の違いである。これは過去に日本企業の米国企業への資本参加が失敗に終わった際にも指摘されたことだが、ドイツと米国の間でも経営手法は大きく異なる。

 たとえば決算が年一回であるドイツ企業が、長期的な視野に立った経営を行うのに対し、米国企業は、三ヵ月ごとに決算報告を行い、利益を生んでいるかどうかについて、株主と市場の厳しい監視の目にさらされる。意外と知られていないことだが、ドイツ企業が現場の専門家たちに比較的大きな裁量権を与えるのに対し、米国の大企業では上意下達の傾向が強い。

 役員報酬にも米独間には雲泥の差がある。ドイツの報道機関によると、ダイムラ−・クライスラ−のシュレンプ会長の報酬は年間約二七0万マルク(約一億八九00万円)と推定されているが、クライスラ−側のイ−トン会長の年間報酬は、シュレンプ氏の報酬の七・四倍、つまり二000万マルク(約一四億円)に達すると見られている。

 また米国企業の内部監査や各種のチェック機構は、ドイツ企業よりもはるかに厳しい。日本ほどではないが、ドイツ企業の中では「個人的信頼」によって支えられている部分が、米国企業よりも多い。「信頼するのは良いことだが、チェックすることはもっと良い」と言ったのはレ−ニンだが、このモット−を世界の企業の中で今日最も励行しているのは米国企業である。それも、シェアホ−ルダ−・バリュ−(株主価値)という言葉に象徴されるように、株主の利益を最優先にする経営哲学が至上の物とされているからである。

 ドイツ企業の間では、株主価値を最も重視する経営哲学やストック・オプション制度はまだ米国ほど広がってはいない。「米国のやり方をそのままドイツに取り入れて成功するとは思えない」という懐疑的な声も出ている。 しかしドイツの経済界には、米国経済の成功の秘密を分析した上で、「ドイツ企業が経済グロ−バル化の時代に生き残るには、発想を転換する必要がある」という意見も出始めている。ドイツ銀行の研究機関であるドイッチェ・バンク・リサ−チの主任エコノミスト、N・ヴァルタ−氏はそうした意見を持つ識者の急先鋒である。

 「米国経済が現在途方も無い強さを見せているのは、八0年代にリストラという宿題をきちんと行ったからである。実際、彼らのシステムは優れていると思う。ドイツ企業も今後はシェアホ−ルダ−・バリュ−のような発想を取り入れていかない限り、株主に投資してもらうことができなくなる。米国の経営哲学を導入しないドイツ企業は、他の企業に買収されるだろう」大西洋をまたいで米国企業の本格的な買収を始めたドイツ企業は、単にノウハウや販売網を獲得するだけでなく、経済グロ−バル化の時代に適応するべく、伝統的なドイツ式経営から脱却し、自らの体質をも大きく変革することを迫られているのだ。