街道を行く
ドイツ‐旧ユーゴ1200キロの旅
私はベンツにしてもBMWにしても、その持ち前の性能や長所をフルに発揮するのは、彼らが生まれた土地、つまりヨーロッパ大陸であると考えている。そのことを体感するには、ヨーロッパで長時間の自動車旅行をしてみればわかる。それも2時間や3時間ではなく、毎日10時間走るような旅である。
特にインフラが悪く、言葉も通じない異郷では、ドイツ車の機械的な信頼性がとても頼もしいものに感じられる。今回ドイツから旧ユーゴ・クロアチアの最南端まで1200キロにわたり、BMW(すでに製造されてから11年経ち、走行距離は10万キロを超えている老兵)を走らせてみて、そのことを強く感じた。読者の皆様にも旧ユーゴへのドライブを紙面の上で味わって頂こう。
‐ 30キロの大渋滞に遭遇
2週間でドイツ・オーストリア・スロベニア・クロアチアの4ヶ国を通過したが、その内最も道路状態が良いのが、ドイツとオーストリアだった。ドイツのアウトバーンでは、時速制限がないところが多いが、オーストリアでは110キロに制限されているから、飛ばしすぎないように注意が必要。
さらにドイツの高速道路では料金を取られないが、オーストリアでは「ビネット」と呼ばれるステッカーを、国境手前の売店や銀行で買って、フロントグラスの外から見えやすい部分に張っておかなくてはならない。料金は1週間有効のステッカーで12マルク(約600円)である。滅多に警察官によるチェックはないが、万一料金を支払わないで走っているのを見つかった場合、相当多額の罰金を取られるそうだから、キセルはやめたほうが無難だ。
国境を越えるごとに交通規則が変わるというのも、日本では味わえない欧州の旅の特徴である。さて車はミュンヘンから高速道路を一路東へ走った後、ザルツブルグの手前で南へ折れて、アルプス山脈を通過するタウエルン・トンネルに向かう。ところが、トンネルの手前で大渋滞にぶつかった。それも車がノロノロ走るのではなく、完璧に路上でストップしてしまう最悪のパターンだ。みんなエンジンを切って車から降り、路上で太陽の光を浴びたり、果物を食べたりしている。
カーラジオのスイッチを入れると、トンネルの手前で30キロの渋滞が発生しており、通過できるまでに3時間待たされるという。タウエルンを初めとするオーストリアやスイスのトンネルでは、ここ数年トラックなどによる大事故が頻発しているため、一度に車を通さないで、何台かのグループに分けて通過させている。このため、渋滞が生じたわけである。
私は最寄の出口から高速道路を降りると、国道を通って、タウエルン・トンネルの上の山並みを超えた。時間は大幅にかかるが、アルプスの景観は素晴らしく、高速道路で3時間待たされるよりは良い。こうした事態にも臨機応変に対応できるように、私はヨーロッパで自動車旅行をする時、電話帳のように分厚い国際ロードマップを必ず持ち歩くことにしている。
さて車はオーストリアに別れを告げて、人口200万人の小国だが、旧ユーゴで一人あたりの国内総生産が最も高いスロベニアに入る。スロベニアでガソリンを買えるように、国境を過ぎてから両替所に立ち寄る。いちいち金を両替するのは、本当に面倒だ。1回の旅行で4ヶ国を通るから、財布の中は4種類のお金でゴチャゴチャになってしまう。スロベニアは2004年ごろにはEUに加盟する予定だが、いずれはユーロも導入されて両替が不要になるのだろうか。
国境を越えて15分も走ると、高速道路は終わって国道になる。反対車線はドイツへ帰るバカンス客で50キロ近い渋滞が続いている。ミュンヘンからスロベニアの首都リュブリアナまでの距離は、462キロしかないのだが、宿に着いたのはミュンヘンを出てから実に9時間後のことであった。しかし、これも翌日からの旅に比べれば、まだ序の口であった。
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魔の国道13号線
私はクロアチア共和国の首都ザグレブから南へ150キロの、国道13号線に面した名もない村の食堂で、昼食をしたためていた。
旧ユーゴ名物の肉料理にぱくついていた私は、「キキキキィィィッ」という、絹を引き裂くようなブレーキ音に、皿から目を上げて国道を見た。私の目の前で、黒っぽい乗用車がブレーキの白煙を立てながら、独楽のように回転し、反対車線から来た赤茶色の乗用車に激突した。窓ガラスが粉のようになって吹き飛び、車体がぐしゃぐしゃになる。まるでスローモーション撮影の映画でも見ているように、全てが緩慢に進んだ。
レストランから人々が飛び出して、車に駆け寄る。二台の車からは人々がふらふらしながら降りてくる。黒い乗用車を運転していた青年は、初めガールフレンドを慰めていたが、頭を打っていたらしく、痛みのためかレストランの駐車場に横たわってしまった。赤茶色の車には年配の女性や小学生くらいの男の子も乗っていたが、車の前半分が大破した割には、あまり怪我をしなかったようにみえる。男の子は、よほど怖かったのだろう。胸に手を当てて、レストランの椅子に座り込んでいる。
近所の人たちの通報を受けて、白バイに乗った警察官と救急車が10分ほどで到着する。ハンガリー人の車とポーランドの観光客が衝突し、クロアチアの警察官が事故処理をするわけである。人々は身振り手振りも交えて、事故の状況を説明している。私の見たところでは、南の方向から来たポーランド人の車が左折してレストランの駐車場に入ろうとしたところへ、反対車線から来たハンガリー人の車がぶつかったように思われた。
現場は直線の道路で、かなり見通しがきく場所である。ポーランド人が対向車のスピードを過小評価して無理して曲がったか、ハンガリー人がスピードを出しすぎていて、ブレーキが間に合わなかったかのどちらかである。いずれにしても、両者ともに判断を誤ったのであろう。私は目の前で人身事故が発生するのを見たのは初めてで、やはり心臓がどきどきしたことは間違いない。
クロアチアの首都ザグレブと、アドリア海の主要都市ザダーやスプリットを結ぶのは、この国道13号線だけで、高速道路はない。内戦が終わって、ドイツやオーストリアからクロアチアの海をめざす観光客が増加するにつれて、13号線の交通量は急増している。これが、私が目撃したような事故の一因ともなっているのだ。国道はカーブや傾斜が多く、なかなかスピードを出せない。トラックが前にいようものなら、時速50キロくらいのノロノロ運転になってしまう。
トラックの前に出るには、見通しが良い場所で、対向車がいない数少ない瞬間に、シフトダウンして急加速しながら、追い越さなくてはならない。別の場所では、トレーラーを牽いた大型トラックが横転しているのを見た。幸いトラックは道路脇の空き地にどけられていたため、道は塞がれていなかったが、国道13号線がいかに危険な道路であるかを感じた。
- 戦争の爪痕
運転には関係ないが、国道13号線に沿った村では、内戦が終結して6年も経った今でも、セルビア系武装勢力の砲撃によって破壊された建物が、数多く残っている。銃弾の痕が醜く残る民家は、数え切れない。
かつては同じ連邦の傘の下で共存していた過去を忘れ、のどかな農村地帯で繰り広げられた殺戮に、人類の愚かさを感じる。こんなことを考えながらゆっくり走っていたら、リュブリアナから目的地のブラーチ島に着くまでに、また10時間かかってしまった。その2日後、ブラーチ島からフェリーで本土に戻り、クロアチア最南端の古都ドゥブロフニクまでアドリア海沿いの国道を走る。
エメラルド色の海は絶景だが、断崖絶壁の上を走る道路は、ガードレールすらない場所があるので、運転には細心の注意が必要。急ブレーキは禁物で、頻繁にシフトダウンして、エンジンブレーキを多用するのが一番だ。
片道1200キロの旅は、けっこう大変だが、切り立った岩山、山火事で丸焼けになった森、紺碧の海、戦火で荒廃した町と変化に富んだ2週間の行程は、運転技術の向上ばかりでなく、世界観を広げるのにも役立つだろう。日本からはちと遠いが、胆力をつけたいという方にはお勧めしたい。
2001年10月17日 週刊自動車保険新聞