ロンドンの渋滞税  −世界初の実験で交通量の削減に成功-                     熊谷 徹


今年2月17日午前、ロンドンで世界の交通史上に残る一大実験が始まった。慢性的な交通渋滞を解消するために、市当局が初めて都心部に入る車から、渋滞税を徴収し始めたのである。

対象になるのは、ロンドンの中心部で、東はロンドン塔から西はハイド・パークに至る、広さ21平方キロメートルの地域。祭日を除いて、月曜日から金曜日の、午前7時から午後6時半までの間に、この地域に車で入ろうとする人は、原則として1日あたり5ポンド(約955円)の税金を払わなくてはならない。ただし、バスとタクシーはこの税金を免除されるほか、この地域に住んでいる人たちや、看護婦、消防隊員、身体障害者などは最高10%の割引を受けられる。

*カメラでドライバーを監視

先日私の妻が取材でロンドンへ出張したところ、車道にペンキで見慣れないマークが書かれているのに気がついた。巨大な赤丸に白地で“C”という字が書かれている。渋滞税(congestion charge)の頭文字を取ったもので、このマークが描かれている地域では、渋滞税を払わなくてはならない。

 ドライバーはこの地域に車で入る前に、その日の税金を納めておかなければならない。渋滞税の支払いは、インターネットや携帯電話、小切手の送付、また新聞の売店(キオスク)や郵便局、ガソリンスタンドに設置されている登録機械などを通じて、一日ごと、もしくはまとめて行うことができる。

ロンドンの中心部には渋滞税の支払いを点検するために、約700台のビデオカメラが設置されている。ロンドン市当局は、撮影された自動車のナンバープレートを解析して、コンピューターにその車のドライバーが税金を支払ったことを示す記録が残っているかどうか、調査する。

ドライバーが税金を支払わない場合には、最高120ポンド(約2万3000円)の罰金が課される。長期滞納者の車は、没収される恐れもある。ちなみにこのカメラは、治安当局にとっては、テロ事件の捜査にも使えるという副次効果もあるようだ。

*平穏だった導入第一日

さてこの「課税ゾーン」には、ダウニング・ストリートを始めとする官庁街や世界屈指の金融街シティー、またビッグ・ベンや大英博物館など観光名所が集まっているだけに、流れ込んでくる車の数は、一日あたり25万台と多いが、この内10万台は、郊外に住んでいて毎日ロンドンの都心に車で通勤する人たちである。

彼らは1週間にわたり毎日ロンドンに来ようと思ったら、約4800円の税金を支払わなければならないのだ。ただでさえ物価が高いロンドンだが、マイカー通勤はことさら財布を軽くすることになる。

渋滞税が導入された2月17日、ケン・リヴィングストン市長は、朝から市の交通管制センターで、車や公共交通機関の流れに支障が生じるかどうか、息をつめて見守っていた。市長は、渋滞税導入の初日は、交通が大混乱に陥る「血まみれの日(ブラッディー・デイ)」になるかもしれないと、英国人特有のブラック・ユーモアを交えた発言をし、市民に心の準備をさせようとしていた。

しかし、この日は学校の上半期が終わった後の、休みの期間にあたっていたこともあり、心配されていた混乱は起こらなかった。常日頃から地下鉄とタクシーで役所に通うリヴィングストン市長は、第一日目の状況を、「ロンドンにとって歴史的な日だ」という言葉で形容し、首都が交通麻痺に陥らなかったことに、胸をなでおろした様子だった。

*交通量が20%減少

ロンドン市の交通当局の狙いは、都心を車で走ることの費用を急激に引き上げることによって、バスや地下鉄などの公共交通機関を利用する通勤客を増やすことだった。ロンドンの都心部では、渋滞のために車の平均時速が15キロまで落ち込んでおり、大気汚染や騒音公害の原因にもなっていた。これは、100年前にロンドンの街を走っていた馬車よりも、遅いスピードである。

実際、2月17日以降は、約2万人の市民がマイカーを家のガレージに残し、バスや地下鉄に乗り換えた。ロンドン市当局は渋滞税の導入によって、都心部を通る車の台数が約20%減ったと推定している。また都心を通る車の速度も10%から15%上昇すると見られている。ロンドンの大企業や有名レストランなどを対象にしたアンケート調査によると、回答者の74%が今回の措置を歓迎している。ホテルやレストランにワインを届けているある会社は、「ワインを届けるのにかかる時間が、最高50%短くなった」と答えている。

*登録システムにトラブル続出

しかし、問題点も残っている。たとえば、毎日「課税ゾーン」にある取引先などに商品を運ばなくてはならない中小企業の経営者などにとっては、渋滞税は大きな頭痛の種である。保守党のダンカン・スミス党首は、「この税金は貧しい人たちには重い負担となるものであり、全くナンセンスだ」と述べ、新しい税金の導入を強く批判している。

さらに、課税システムを管理する役所も非能率的である。渋滞税が導入される前日までに、「納税」した人は、ロンドンの中心部を通行するドライバーの数の半分にすぎなかったが、その原因は、電話などで料金を支払おうとしても常にお話し中でつながらなかったり、郵便で小切手などを送っても、システムに入力がされなかったりしたことだと見られている。

前述のアンケート調査でも、回答者の3分の2が、「渋滞税を支払って自分の車を登録しようとしたが、スムーズにいかなかった」と苦情を述べている。

ロンドン交通局は、1週間で約1万5000人に対して罰金の支払い命令を送付するが、通知書を受け取る人の中には、こうした事務手続きの遅れによって、納税しているのに誤って違反者にされてしまう人もいる。実際、ロンドン交通局には、「罰金の支払い命令は不当だ」という苦情が毎日100件寄せられている。

ロンドンから200マイル離れたデボンの町に住んでいる年金生活者のピーター・ブランクフォードさん(67歳)は、過去30年間に一度もロンドンに車で行ったことがないにもかかわらず、罰金の支払命令書を受け取った。

ブランクフォードさんは、この命令を不服とする抗議文を市当局に送ったが、彼のほかにも、システムのミスによって罰金の支払いを命じられた市民は、少なくないと見られる。

*公共交通機関の整備が先決

英国では、エジンバラ、カーディフ、ベルファスト、ブリストルなどの都市でも、ロンドンにならって渋滞税の導入が検討されている。しかし、交通学者らの間には、「ロンドンは公共交通機関を利用する人が多いので、渋滞税が導入されても大きな混乱が起こらなかった。だが他の町が同じシステムを採用する際には、まずバスや地下鉄のネットワークを充実させる必要がある」として、拙速を戒める声が強い。

実際、ロンドンの中心部では、渋滞税が導入される前から、通勤客の86%が公共交通機関を利用していた。他の町では、通勤の足の主流は車であり、事情が大きく異なる。つまり都市の交通渋滞を緩和する決め手は、やはり公共交通機関なのである。

ロンドンの地下鉄は老朽化が進んでいる上に、輸送能力はほぼ限界に達している。つまり新しい地下鉄線を建設したり、町の下に大規模な自動車専用のトンネル網を作ったりすることが、抜本的な解決策と言える。

しかし、今のところ市当局には、そうした大プロジェクトを実施するための資金の余裕はない。ロンドン交通局がドライバーから吸い上げる毎年1億3000万ポンド(約248億3000万円)の渋滞税は、公共交通網の整備にあてられることになっているが、ロンドンの混雑を考えると、この巨額の資金も焼け石に水かもしれない。

2003年5月23日 自動車保険新聞