よみがえったミニ

 

最近になって、ドイツの街角で目立つ、元気の良い軽乗用車がある。車体は小さいのだが、けっこう威勢良く加速する。それが、BMWグループが去年発売した新型ミニである。

― 英国の代表選手

ミニといえば、もともと英国の小型車として500万台が生産され、世界的に絶大な人気を博していた車だ。その可愛らしいデザインから、日本にも根強いファンが多い。新型ミニの車体は、これまでのミニに比べると、やや流線型が強く、より近代的なイメージでまとめられている。

現在売られているのは、90馬力のミニ・ワン、115馬力のミニ・クーパー、163馬力のミニ・クーパーSの3種類。特にミニ・クーパーSは、強力なエンジンを積んでいるだけに、最高時速218キロを出すことができる。停止状態から時速100キロに加速するまでに、わずか7・4秒しかかからない。これならば、少なくともスピードだけを見れば、ベンツやBMWにも見劣りはしない。

以前のミニは、パワーステアリングがないことが、幅寄せの時などにドライバーの悩みの種だったが、新型ミニにはパワーステアリングが導入され、ハンドルが軽くなった。英国の伝統的な車ミニは、どのようにしてドイツの車として生まれ変わったのだろうか。

― スエズ危機がきっかけで誕生

ミニの生みの親は、サー・アレック・イスィゴニスという英国人のエンジニアである。彼は、英国の自動車メーカーであるオースティン社とモーリス社が合併して1952年に設立されたBMC(ブリティッシュ・モーター・コーポレーション)という会社に勤務していた。

1959年にスエズ危機が発生し、世界的な燃料不足が懸念され、一時的にガソリンの配給が実施されると、BMC社はイスィゴニスに対して、小型で燃費が良く、価格が低い大衆車を開発するよう命じたのである。イスィゴニスは、すでに同社が使っていたA型エンジンを使うこと以外には、全く条件を課せられず、新車を自由に設計することを一任された。

イスィゴニスは、モーリス社に勤務していた時、モーリス・マイナーという小型車を開発して、成功を収めていたが、長さ3メートル、幅1・2メートルの車体に大人4人が乗れるだけのスペースを確保することはかなり難題だった。

彼がレストランのナプキンに描いた新車のラフ・スケッチが残っているが、この絵はすでにミニの特徴である箱型の車体となっている。イスィゴニスは、駆動装置をエンジンの下に配置することによって、スペースを節約することに成功し、小型車のプロトタイプの完成にこぎつけた。BMC社が1959年にミニを500ポンドという当時の自動車業界では破格の安値で売り出した時、同社は毎年2万台しかこの車を生産していなかった。

当初は4人家族向けの経済的なファミリー・カーとして売り出された車は、国民から「ファッショナブルな車」として高い人気を博し、発売からわずか3年後には、毎年20万台も生産されるようになったのである。

― 世界中で人気爆発

BMC社は、レーシングカーの製造者として知られていたジョン・クーパーと共同で、1071CCの強力なエンジンを持ったミニ・クーパーSを開発した。この車の優秀性は、1964年、1965年、1967年の3回にわたり、モンテカルロの自動車ラリーで優勝したことに現われている。

特に60年代に上映された「イタリアの仕事」という映画の中でミニが登場した頃から、ミニは英国だけでなく世界的なアイドルとしての地位にのぼりつめる。「まるでゴーカートに乗っているような車」というイメージが、人々にうけたようである。

ちょうど、ドイツが一家に一台の車として生産を開始したフォルクスワーゲン(国民車)が、後に「かぶと虫」として世界中のカーマニアから愛されるようになったのと似ている。ミニは英国のフォルクスワーゲンともいうべき存在だったのである。日本でも1985年のミニの販売数は1000台にすぎなかったが、1990年には1万2000台に増えている。

日本のあるミニ・マニアも「振動が激しく、乗り心地は悪く、スピードを出すとエンジン音がうるさく、信号の下に停まると信号が見えず、保守整備が面倒だけども、すてきなデザインの車」という感想を述べ、ミニに対する愛着を表わしている。

― BMW社の手中に

さて、ミニの生みの親であるBMC社はいくつかの変遷を経て、1986年にローバー社となったが、同社は1994年にBMW社に買収される。だがBMW社は、6年間に90億マルク(約4680億円)もの費用を投じたにもかかわらず、ローバー社のマーケットシェアを英国ですら引き上げることに失敗し、同社の損失によってグループ全体の利益が減る一方であった。

このため、BMW社はローバー社の乗用車部門を2000年にただ同然の価格で英国の投資家グループに売却した。ただし、BMW社はミニだけは、将来に希望が持てるモデルとして、手元に置く道を選んだのである。だがミニの生産は、ローバー売却に伴う混乱のため、2000年に中断されてしまった。

― 中身はBMW?

その意味で、1年半後に英国・オックスフォードのロングブリッジ工場で、新型ミニの工場が再開されたことは、欧州の自動車ファンたちの注目を集めた。ミニは去年7月からまず英国とアイルランドで発売された後、今年3月からは日本と米国でも販売が始まった。

今年6月までの売上台数は、全世界で約6万2000台にのぼる。BMW社は、「今日使用できる最高の技術を使いながら、昔のミニの遺伝子や特徴を感情的な面で受け継いでいます」と新型ミニを定義している。エアバッグ、頭部保護エアバッグ、パンク警告灯、ABS(車が氷などのためにスリップした時に、タイヤを自動的に逆回転させて、摩擦やコントロールが失われるのを防ぐ装置)など、以前のミニでは考えられなかった安全システムが満載されている。

BMW社がミニを手元に置きたかった理由は、BMWグループに本格的な軽乗用車がなかったことである。ミニは、そのコンパクトな車体から、大都市で暮らすリッチな若者向けの車として、好評を博すことが予想される。

― オールドファンの不満

だが英国のミニ・ファンの間には、新型ミニについて「あれはミニではない。BMWだ。車体も昔のミニよりも長くなり、ゴーカートに乗っているようなミニ独特の気分が失われた」という不満の声が聞かれる。

これに対してBMW社は、「ミニはBMWから独立したブランドであり、BMWを買いたいと思う客層とは異なる顧客をターゲットにしている」と主張し、ミニの独自性を強調している。だが、実際には新型ミニに使われているのはBMW社のテクノロジーとノウハウであり、ミニの販売スタッフも、BMW社のディーラーの一部であるため、熱烈なオールド・ミニの信奉者が、違和感を抱くのも無理はない。

先日たまたま自宅近くで昔のミニと新型ミニが停まっていたので、スタイルを比べてみたが、確かに昔のミニの地面にはいつくばるような低さがなくなり、車体と地面の間の距離が大きくなったように見える。またいかにも英国の製品らしい、武骨でスパルタンな印象が減り、スマートで洗練されすぎた車になったというきらいはある。

だが自動車の歴史の中では、生産が完全に中止され、現在では販売されていない車が沢山ある。そう考えると、仮に親会社の国籍やスタイルが変わっても、ミニのように人々から親しまれた車が、新型車として生産され続けていくのは、幸いなことと言うべきではないだろうか。

 
2002年9月22日 自動車保険新聞