クリスマスの謎

 1月になって仕事始めを迎えたミュンヘン。町のゴミ捨て場に、クリスマス・ツリーとして使われたもみの木が捨てられているのが目立つ。ドイツでは大人が一抱えするような大きなもみの木を飾る家庭が多いので、後始末にも困るのだろう。

ところでイエス・キリストが生まれたのは、現在イスラエルのヨルダン川西岸地区にあるベツレヘムである。イスラエルに仕事で行くようになって、この地域がほとんど砂漠に近い乾燥地帯であることに気がついた。生えているのは潅木のような背の低い木であり、北方の常緑樹であるもみの木などはベツレヘムには一本も立っていない。それでは一体なぜ、キリストの誕生を祝うクリスマスには、もみの木を飾るのだろうか。

古代のスカンジナビアや英国の北部には、キリスト教が普及する前から、12月25日から1月6日まで、12日間にわたって一種の「冬至祭り」を祝う習慣があった。つまりこの時期に夜が短くなり、昼が長くなり始めるからである。古代ローマの多神教でも、12月25日を太陽神が生まれた日として祝う習慣があった。電灯がなかった時代に、古代のヨーロッパ人にとって、明るい時間が長くなることは、きわめて重要であり、太陽神の勝利として祝うだけの理由があったのだろう。

彼らはその際に、冬でも枯れない常緑樹を、祭のシンボルとして飾った。ケルト人は住居にヤドリギを飾り、ゲルマン人はもみの木を使ったのである。古代の人々にとって、雪の中でも緑を保つこれらの木には、神の力が宿っていると思えたのである。実際ドイツでは今でも、クリスマスに緑の枝が食卓などに飾られるし、家を建てる際の棟上げ祭では、屋根に常緑樹の枝が飾られているのを見かける。これらは冬の闇を打ち破る力を持った太陽神に対する、北欧民族の信仰のなごりなのかもしれない。

ちなみに、キリスト教が普及し始めた頃のヨーロッパでは、キリストの誕生日が特定されておらず、11月18日、1月6日、3月28日など様々な説があった。現在のように12月25日に落ち着いたのは、紀元後4世紀になってからであり、かなり遅い。キリストの生誕の日が、最終的に古代ローマの太陽神の祝祭と同じ日に定められた背景には、庶民に広く受け入れられていた多神教に対抗して、信仰の中心を占めようという初期キリスト教団の野心があったのかもしれない。

つまり、ベツレヘムには存在しないもみの木が、世界中でクリスマスの象徴となったのは、北ヨーロッパにキリスト生誕以前から根ざしていた、多神教の祝祭の影響を強く受けているのである。イスラエルでは一月でも気温が20度に達することがある。したがって、多くの人がロマンチックに感じる、雪に覆われたホワイト・クリスマスも、極めてヨーロッパもしくはアメリカの気候を反映しており、キリストが生まれたパレスチナ地方とはあまり縁がない。
(文と絵・熊谷 徹 ミュンヘン在住)

保険毎日新聞 2004年1月23日