番号 | 発表時期 | タイトル | 内容 |
1 | 1998年 7月号 |
危機管理 甘えの構造から 脱皮するドイツ |
1997年3月、ドイツ連邦軍は、内乱状態に陥ったアルバニアに戦闘部隊を派遣し、日本人を含む98人の外国人を自力で救出した。この作戦は、それまで危機管理を同盟国に依存していたドイツが、冷戦後、自らの判断で独自の道を歩んだ、最初の出来事だった。 だがドイツは戦後、集団安全保障体制の中に深く身を埋めてきたことから、周辺諸国からは批判の声は上がっていない。ドイツが他力本願の構造からの脱皮を決めた背景を探る。 |
2 | 1998年 12月号 |
コールを捨てた ドイツの選択 |
ドイツの有権者は、1998年の総選挙で、16年に及んだコール政権を追い落とし、左派連立政権を樹立させた。 この「革命的」な事態にもかかわらず、周辺の国々から不信の声が上がらない理由は、ドイツが戦後半世紀にわたり、西側同盟の一員として、周辺国の信頼を得るための作業を地道に続けてきたことである。ナチスが欧州にもたらした惨禍にもかかわらず、戦後ドイツが安定した民主主義国としての地位を築き得た経緯について、考察する。 |
3 | 1999年 7月号 |
米国に殺到する ドイツ企業 |
90年代後半、ドイツ経済は空前の企業合併・買収ブームにわいた。中でも目立ったのは、ダイムラー・クライスラーの誕生、ドイツ銀行によるバンカーズ・トラスト買収など、ドイツ企業の積極的な米国進出である。 その陰には、「経済グローバル化の波に乗らなければ生き残れない」というドイツのトップ企業の読みがあった。ドイツの米国への投資が活発化した背景を分析。 |
4 | 2000年 7月号 |
コール首相不正献金疑惑 ドイツ保守政治が迎えた 戦後最大の危機 |
CDU・キリスト教民主同盟と、コール前首相に対するヤミ献金疑惑は、伝統あるドイツ保守政党への信頼を失墜させ、著しい弱体化を招いた。時同じくして、オーストリアなどで、極右主義を標榜する政治家が、選挙で高い得票率を記録した。 ナチズムに批判的で、冷戦時代に歴史リベラリズムを掲げてきた、キリスト教系政党の弱体化は、欧州で右派ポピュリズムをはびこらせる、危険をもはらんでいる。ドイツ戦後最大の政治スキャンダルの背景と、影響について考察する。 |
5 | 2001年 3月号 |
2010年 「欧州連邦」の実現へ |
ユーロ導入は、欧州統合の一側面にすぎない。EU(欧州連合)がめざしているのは、ドイツのフィッシャー外相のフンボルト大学での演説に表れているように、欧州政府、大統領、議会、憲法を持つ、事実上の「国家」である。ヨーロッパ人たちは、EUの機構改革や、憲法草案の準備、NATOとは別個の欧州軍創設への努力などによって、連邦実現への道を着々と歩んでいる。 国際政治における欧州の捲土重来への努力を分析するとともに、米国偏重の視座だけでは、新しいヨーロッパの誕生を見過ごすという警鐘を鳴らす。フィッシャー外相の懐刀、プロイガー国務次官へのインタビューも交える。 |
6 | 2001年 10月号 |
「頭脳移民」 積極導入へ踏み出したドイツ |
日本と同じく、急速な高齢化と少子化に悩むドイツは、ITエンジニアなど、経済が必要とする知識や技術を持ち、社会保障に依存しない外国人については、移民を容易にする新しい移民法を導入する方針を固めた。 外国からの優秀な移民の導入は避けて通れないという、ドイツ財界の意向は、この国の保守政治家の間でも基本姿勢となりつつある。国益に基づいた移民奨励へ向けて、ドイツが実施した大胆な政策転換の背景を分析する。 |
7 | 2002年 3月号 |
マルクを捨てて 「戦後」から 解放されたドイツ |
2002年1月に、現金として流通が始まった欧州の単一通貨ユーロは、またたくく間に日常生活に浸透した。とりわけドイツにとって、ユーロは競争力を強化して米国型経済への接近を促す効果と、歴史の桎梏を解いて、「戦後」に終止符を打つという、大きな政治的意義を持っている。 戦後のドイツ人にとって、ユーロの出現は、精神的な拠り所であったマルクへの「通貨信仰」から卒業し、「良きヨーロッパ人」としてのアイデンティティーを育てるきっかけとなる。自国通貨を廃止して、他国と通貨を共有するという、歴史上例がない大実験の背景と歴史的な意義を考察する。 |
8 | 2002年 9月号 |
海外歴史教育事情 ドイツ編 統一後に 教科書記述は どう変わったか |
ドイツ統一前に使われていた歴史教科書の記述内容が、統一後にどう変わったかを、比較分析した。その結果、第二次世界大戦末期に、現在はポーランドやチェコになっている当時のドイツ領土から、1200万人にのぼるドイツ人が強制移住させられ、250万人が死亡した「住民追放問題」についての記述が、統一前に比べて詳細になるなど、ドイツ国民も戦争の被害者だったという事実が、より前面に押し出されるようになった。 そこには国外での軍事貢献などを通じて、「普通の国」をめざすドイツの安全保障・外国政策と共通するものが感じられる。しかし現在もドイツにネオナチが存在することに言及するなど、自国の歴史を批判的にとらえる姿勢には、揺らぎがない。 |
9 | 2002年 10月号 |
対テロ戦争で切るべき 日本の外交カード 米国の単独主義に 対抗する最善の道は何か |
対テロ戦争の次の局面、つまり米国の対イラク戦争は、日本の外交・安全保障政策に大きな影響を与える可能性が強い。ドイツは、9月11日事件発生直後、米国に強い連帯を示すだけでなく、アフガニスタンに特殊部隊や平和維持軍を派遣し、アフリカ沖の警戒任務のために、戦後最大規模で艦艇を出動させている。 シュレーダー首相の対イラク戦争不参加発言は、総選挙で勝利を収めるための、戦術であり、ドイツは選挙後になって、対化学戦装甲車フクスを、対イラク戦開始時にもクウェートに残留させることを決めたり、ドイツ軍兵士をAWACS(空中警戒管制機)に搭乗させたりすることを決めるなど、周辺国への警戒任務を通じて、間接的な軍事貢献を行おうとしている。その背景には、米国が単独主義に走るのを防ぎ、発言権を得るには、軍事貢献が不可欠という、ドイツ政府部内の認識がある。米国にとって戦後最大の非常時である今、日本にとっても、対テロ戦争で米国を間接的に支援することが、国益にかなう。 |
10 | 2003年 10月号 |
米国一極体制に対抗する欧州の 論理 欧州軍の創設、 国際法の再定義へ |
全文 |
11 | 2005年 2月号 |
多様性のヨーロッパと 宗教性のアメリカ |
全文 |
12 |
2005年 9月号 |
歴史リスクと戦うドイツ、 放置する日本 |
全文 |
13 | 2005年 12月号 |
ドイツ総選挙の異常事態 二大政党はなぜ共に 「敗北」したのか |
全文 |
14 | 2006年 11月号 |
ギュンター・グラスが落ちた 歴史リスクの罠 |
全文 |