第二次シュレーダー政権と電力業界

 

今年九月二十二日にドイツで行われた連邦議会選挙で、シュレーダー首相の率いる社民党(SPD)と同盟九0・緑の党の連立与党が、僅差で勝利を収めたことは、この国の電力業界関係者をひどく落胆させたに違いない。社民党は前回の選挙に比べて二・四ポイント得票率を減らした。この結果、与党は野党のキリスト教民主・社会同盟(CDU/CSU)と全く同じ三八・五%の得票率しか取ることができず、四七もの議席を失ったのである。シュレーダーを救ったのは、環境政党・緑の党が、今年八月に発生した未曾有の水害で国民の環境意識が高まったことを背景に、前回の選挙に比べて得票率を二・四ポイント増やし、予想をはるかに上回る善戦ぶりを見せたことだった。

* シュトイバー候補落選に落胆

野党のシュトイバー首相候補は、環境税を厳しく批判するドイツの電力業界に近い立場を取っていた。彼は「来年一月に予定されている環境税引き上げを凍結し、中期的には現行の形での環境税を廃止する。ドイツの競争力に悪影響を及ぼさず、欧州諸国と足並みを揃えるために、有害物質の排出量に基づく税金に変更する。原子力発電廃止に関する法律も、温暖化防止に逆行するため、見直す」と発言していた。このため、シュトイバー氏の敗北は、エネルギー政策の軌道修正を求めていた電力業界には、一種の挫折である。

* さらばミュラー大臣

もう一つ電力業界にとって悪い報せは、十月七日にW・ミュラー経済大臣の辞任が決まったことである。シュレーダー氏は、最大の懸案である失業問題の抜本的な解決を図るために、労働省と経済省を一人の大臣に担当させることを決定した。二つの省をまとめて労働政策と経済政策を調和させるには、強い指導力を発揮できる、社民党の政治家が必要である。このため無党派のミュラー氏は、自分が新しい省を率いることは不可能だと悟っており、辞任は覚悟していた。実際、シュレーダーは同じ党の重鎮である、ノルトライン・ヴェストファーレン州のW・クレメント首相を、新大臣に任命した。

電力会社RWEやVEBAで通算二四年間働き、電力事業に精通したミュラー氏が、エネルギー政策の手綱を握っていたことは、電力業界にとって大きな救いだった。それは、ミュラー氏が環境保護主義者とエネルギー業界の間の仲介者として、連立政権のパートナーである緑の党の、エネルギー政策への衝撃波を和らげる役割を果たしたからである。たとえば、緑の党が強く主張してきた原子力発電の完全廃止が、電力業界に過大なコストを生じさせないように、三二年間という長い期間をかけて行われることにも、ミュラー氏の筆の跡がうかがわれる。この原子力合意について経済省では、「市場原理だけに即していても、結局は起きるべきことを合意にまとめただけ」という本音もささやかれており、逆に緑の党の中では「骨抜きにされた内容」という不満の声も出ていた。

* 独り歩きを鋭く批判

ミュラー氏の元電力マンとしての本音が強く現われたのが、去年十一月末に発表された「エネルギー報告書」である。この中でミュラー氏は、「ドイツだけが原子力発電を廃止し、二0二0年までに二酸化炭素の排出量を一九九0年の水準の四0%に抑えようとすると、約二五00億ユーロ(約三0兆円)のコストが生じ、ドイツの国際競争力を著しく阻害する」と述べ、ドイツだけが地球温暖化防止の努力で突出するのではなく、他国と足並みを揃えることの重要性を指摘したのだ。「温暖化防止だけでなく、競争力も重視するべきだ」というミュラー大臣の主張は、緑の党の議員から、「偏向している」と強い批判を浴びたほどである。

* 再生可能エネルギーは環境省の担当に

このため、ミュラー大臣の辞任はドイツの電力業界にとって大きなマイナスである。実際、選挙後になって、緑の党のトリティン環境大臣は、エネルギー政策に関する権限を、経済省から環境省へ移管するよう強く要求した。クレメント新大臣は、「エネルギー分野は、ドイツ経済の原動力であり、経済省に残すべきだ」として、激しく抵抗したが、結局十月十五日にSPDと緑の党の間で行われた交渉の結果、エネルギー政策の内、再生可能エネルギーに関する権限だけは、トリティン環境大臣に引き渡すことに合意した。緑の党は、この決定が同党の環境問題における影響力を強めるものとして、満足の意を表明している。

環境省が再生可能エネルギーに関する権限を手中にしたことは、緑の党の選挙での活躍なしには考えられない。今後も同党は、エネルギー政策に関して自己主張を強めて行くものと考えられる。その際に、電力業界の立場を理解してくれたミュラー氏は、経済省を去った。今後四年間、ミュラー氏という頼もしい防風林を失ったドイツの電力業界は、政治の冷たい風にさらされることになるだろう。

2002年10月23日  電気新聞掲載