東西ドイツ・経済格差論争の不思議

ケーラー連邦大統領の発言はなぜ波紋を呼んだのか

 ドイツ政府のH・ケーラー連邦大統領が週刊誌フォークスとのインタビューで、「旧西ドイツと旧東ドイツの間には、生活水準に大きな差があり、格差をなくすには多額の補助金を投下しなくてはならない。我々は、国が多額の補助金を出すことを当たり前と思う習慣に、別れを告げなくてはならない」などと発言したところ、旧東ドイツの各州の首相らは一斉に反発した。

* 歴然たる経済格差

ザクセン・アンハルト州のベーマー首相は、「将来も経済格差は残るかもしれないが、均等化への努力をあきらめてはならない」と述べたほか、ザクセン州のミルブラート首相は「病院や学校など、政府が直接介入できる部門については、東西格差はない。

それどころか、旧東ドイツの水準が高い分野もあるくらいだ。ただし、旧東ドイツの失業率が西側の二倍に達しているのは、受け入れられない」として、連邦政府に対して失業禍克服にいっそう力を入れるよう求めた。

 この論争を聞いて、私は実に不思議な感じを抱いた。フォークス誌に掲載されたインタビューの全文を読んでみたら、ケーラー氏がなぜ批判されるのか、ますます理解できなくなった。

ドイツの東と西の間に、統一から14年経った今も、経済や生活の水準に大きな差があることは、ケーラー氏の弁をまつまでもなく、紛れもない事実である。たとえば、連邦統計局の調査によると、2003年上半期の時点で、旧西ドイツ人の税引き前の所得は平均3619ユーロ(約49万円)だったが、旧東ドイツでは24%少ない2734ユーロ(約37万円)だった。

* 補助金も焼け石に水?

 高速道路や町の中心部の建物は美しく整備されたが、企業の投資が進まないために、新しい職場が生まれず、失業率は18・5%と西側の2倍に達している。およそ160万人が失業保険金など国からの援助で暮らしている。

さらに、統計では完全失業者として把握されない、
ABM(雇用創出事業)で仮に雇用されている人々や職業訓練を受けている市民らを含めると、事実上の失職者はゆうに200万人を超えてしまう。旧東ドイツ家計の平均所得2734ユーロの内、3分の1は、年金や子どもの養育補助金、失業援助金など国からの手当となっている。

 統一からの14年間に、ドイツ政府は東側の復興や市民の生活維持のために、1兆2500億ユーロ(約162兆5000億円)という天文学的な補助金を投じてきたが、旧東ドイツの経済がなかなか自立しないので、いつになればこの資金援助をストップできるのか、目途がついていない。

「補助金で生きていけるから、今のままでいいや」という依存心が東側の市民の間に芽生えるとしたら、困った事態である。

* 将来は自力で開拓せよ

 ケーラー大統領が言うように、経済格差は東西だけではなく、旧西ドイツの中にも存在する。たとえば、バーデン・ヴュルテンベルクとブレーメンの間には、産業構造の違いなどから失業率に大きな違いがある。

彼はインタビューの中で、旧東ドイツ人に対して、自分の生活水準を向上させるために、希望する仕事がある場所へ引っ越すか、あるいは生活水準が低くても郷土に住み続けるかの、選択をするよう求めている。

 東西を分断する壁が取り払われた今、旧東ドイツ市民にも移動の自由は確保されたのである。

実際、20歳台から30歳台の旧東ドイツ人たちの中には、「旧東ドイツに住んでいても当分生活は良くならない」と考えて、ケーラーが言うように旧西ドイツに引っ越して働いている人は少なくない。旧東ドイツの人口が減少し続けているのは、そのためである。

* 柔軟さを欠くドイツ人

 ワシントンでIMF(国際通貨基金)の専務理事を務め、国際経験が豊かなケーラーは、多くの市民が国からの援助を当てにしているドイツの状況を見て、「これではグローバルな規模の経済競争には勝てない」という危機感を抱いているに違いない。

米国では、地域ごとに経済格差があることは当たり前であり、市民は一生の間に20回転職や引越しを行うと言われている。日本でも、日本や海外に転勤するのはごく当たり前のことである。

これに対し土着意識の強いドイツでは、一ヶ所に長期間住み続ける人が多く、特に年配の人の間では、失業しないために他の町へ移るという意欲は米国に比べると弱い。(一つの町の中でさえ、住み慣れた地区を離れて、別の地区へ移りたがらない人が多いほどだ)

ケーラー大統領の発言には、「ドイツ人よ、今の生活水準を維持するには、もっと柔軟になれ!」というメッセージがこめられている。

* ドイツ人は恵まれている

我々日本人の目から見ると、ドイツは6週間の有給休暇、短い労働時間、手厚い社会保障など、まだまだ70年代、80年代の経済成長期の恵まれた遺産を引きずっているように思える。多くのドイツ市民には、日本の平均的な労働条件を受け入れるどころか、想像することさえできないだろう。

しかも多くの勤労者たちは、国際的な視野に乏しいために、自分たちが他の国に比べて恵まれているという意識すらない。私がよく訪れるボスニア・ヘルツゴビナでは、失業率が50%近い。ボスニアに毎年国内総生産の5%にあたる資金を送ってくれる国など、どこにもない。それに比べれば、旧西ドイツという裕福な兄貴分を抱えた旧東ドイツは、まだ恵まれている方だ。

* 実績評価社会へ

シュレーダー首相の、社会保障・労働市場改革の試みが、旧東ドイツを中心に強い拒絶反応を引き起こしている原因の一つは、市民の視野の狭さである。だが、旧東ドイツから西側へ移り住んで、新しい可能性を見出し、一生懸命働いている若者たちも、徐々に増えつつある。

若い世代を中心に、ドイツも少しずつ権利よりも実績(
Leistung)を重視する社会に変化していくものと思われるが、政府が準備する安全網に慣れきった人々が、自助努力を増やすまでには、まだかなりの時間がかかるだろう。ドイツ経済は徐々に米英スタイルに近づいていくが、米国並みに雇用の流動性が達成されることはないと思われる。外国では当たり前のことを言っただけなのに、ケーラー大統領が猛烈な批判を浴びたことは、そのことを端的に物語っている。

熊谷 徹 週刊 ドイツニュースダイジェスト 2004年10月9日