ネオナチは死なず・アンネの日記焚書事件
今年6月末、ドイツ人たちがサッカー・ワールドカップ大会に熱狂している時に、旧東ドイツで気になる事件が起きた。
6月24日に、ザクセン・アンハルト州のプレツィンという村で行われた夏至の祭りで、3人の若者が、アンネ・フランクが書いた「アンネの日記」を燃やしたのである。
6月24日は、昼間の長さが1年で最も長い夏至である。このため古代ゲルマン人やケルト人たちは、この日にSonnenwendfeierと呼ばれる夏至の祭りを行った。ナチスもまた、ゲルマン民族の伝統を鼓舞するために、夏至を休日にして、各地で祝祭を催した。
「アンネ・フランクを火に捧げる」と言って、若者が本を火にくべたのを見て、人々はショックを受けて、祭りは直ちに中断された。1930年代にナチスは、トーマス・マンなど自分たちの思想にそぐわない作家の本を、焼いたことで知られている。
ミュンヘンのケーニヒス・プラッツで、ナチス党に属する学生たちが、党歌を唄いながら、本を火中に投げ込む有名な記録フィルムが残っている。
その意味で、アウシュビッツ絶滅収容所に送られ、ベルゲン・ベルゼン収容所で死亡したアンネ・フランクの世界的ベストセラーを、ナチスが国民的祝祭として悪用した夏至の祭りで焼くという行為は、この若者たちがネオナチの思想を持っていることをはっきり示している。
ザクセン・アンハルト州のヴォルフガング・ベーマー首相が、「我々の州にとって恥だ」という声明を出したのを始めとして、政界からはこの行為を強く糾弾する声が上がった。ぞっとさせられるのは、現場にいた66歳の村長が、「アンネの日記」が焼かれるのを見たのに、直ちに抗議したり、祭りをやめさせようとしたりしなかったことである。この村長は、焚書(ふんしょ)が持つ危険さをすぐに理解できなかったのだろうか。
社会主義時代の東ドイツでは、「我々はナチスと戦った共産主義者の国家である」という党の宣伝のために、西ドイツに比べると、社会全体でナチス時代の過去と批判的に取り組む姿勢は少なかった。強制収容所や慰霊碑を訪れる行事はあったが、それはナチスの犯罪を心に刻む行為ではなく、恒例の行事として形骸化していた。
さらに旧東ドイツでは、統一から16年経った今も、経済状態が思わしくなく、旧西ドイツに比べると失業率が2倍近い。このため、若者たちの間で体制への不満が強く、極右団体の思想に誘惑されやすい土壌がある。
ナチス時代に本を焼かれたあるドイツ人の作家は、「本を焼く人々は、次に人間を焼く」という警句を残した。「アンネの日記」の焚書は、ネオナチの思想が今も社会の片隅に生き残っていることを示している。連邦政府や州政府は、旧東ドイツでの歴史教育により力を入れるべきではないだろうか。
週刊ニュースダイジェスト 2006年8月5日