アラファト後の中東
パレスチナ人に独立国を持つ希望と、イスラエルに対抗する勇気を与えた人物として、アラファト以上のカリスマ性を持つ人物は、これからもパレスチナの歴史に現れないだろう。
だが、2000年に第二インティファダ(反イスラエル暴動)が勃発し、イスラエル軍の攻勢によって青少年を含むパレスチナ人約3000人が死亡し、民間人を狙った自爆テロ多発によってイスラエル側に多数の死傷者が出ても、アラファトは事態の収拾に動こうとはしなかった。
この4年間は、アラファトとパレスチナ自治政府が、事実上統治能力を失い、ハマスなどイスラム原理主義の影響を受けたテロ組織をもはや抑制できなくなっていたことを、示している。
治安を確保できない人物は、指導者として失格である。このため、オスロ合意の立役者としてノーベル世界平和賞まで受けたアラファトを、米国とイスラエルは、近年むしろ中東和平を妨げる巨大な障害物とみなしていた。
私もイスラエルで、自爆テロにおびえる多くの市民たちが、パレスチナ人への信頼を失い、アラファトを極悪人としか見ていない現実を、目の当たりにした。つまり米国とイスラエルは、アラファトが権力についている限り、パレスチナ自治政府と交渉のテーブルに着く意志はなかったのである。
アラファトが権力の座を去ったことで、パレスチナ紛争の平和的解決への行程表(ロードマップ)が動き出す可能性が生まれたのである。元NATO事務総長のソラナ氏が指摘するように、ある人物の死によって、対話の道が開けると強調するのは、不謹慎だが、それほどまでにアラファトの権威は、大きかった。
イスラエルではアラファトの殺害や追放を求める声も出ていたが、ついにシャロンが実行に踏み切らなかったのは、パレスチナ人への影響力の強さを考慮したからである。紛争に疲れたパレスチナ自治政府は、「父親」を失った今、イスラエルとの交渉を再開しようとするだろう。
イスラエル側が、ガザ地区からの完全撤退という、痛みを伴う歴史的な決断によって、柔軟さを見せ始めている今を逃がしたら、パレスチナ国家樹立のチャンスは永遠に失われるかもしれない。交渉が成功するかどうかは、自治政府が過激組織のテロに歯止めをかけ、イスラエル側の信頼を獲得できるかどうかにかかっている。
政治的・経済的に、中東と密接な関係を持つヨーロッパに住む我々にとっても、中東情勢の今後の展開は重要な意味を持っている。
週刊 ドイツニュースダイジェスト 2004年11月20日