ドイツにおける外国人論争

イスラム過激派のメンバーと見られる外国人が、ドイツを訪れたイラクのアラウィ首相の暗殺を計画した疑いで逮捕されたが、今後ヨーロッパではイスラム過激派とどのように戦い、大多数の穏健なイスラム教徒が、社会で疎外されるのをどのようにして防ぐかが、焦点となるだろう。

西ヨーロッパには1500万人から2000万人のイスラム教徒が住んでおり、人口の4%から5%を占めている。またトルコが、将来
EUに加わると、イスラム教徒がEUの人口に占める比率は、一気に16%に増えることになる。

多くの国では、一部のイスラム教徒が社会に溶け込むことを拒否して、「ゲットー」の中に閉じこもるという問題が、深刻化している。
EUの文化的複数主義は、異なる文化が交わらずに、横並びする状態を生み出したにすぎず、真の文化的交流、外国人の社会参加が進んでいないために、イスラム教徒の疎外感を強め、過激派が紛れ込む土壌を作っているという指摘が強まっているのだ。

外国人に対する反発は、極右の躍進という形で現れる。2002年にフランスで行われた大統領選挙の第一次投票では、極右政党
FNのル・ペン党首が18%の票を獲得した。2004年の秋に旧東独のザクセン州では、ネオナチ政党NPDが、得票率を前回の1・4%から9・2%に引き上げ、36年ぶりにドイツの州議会に進出した。

ザクセン州は、西側企業の投資が活発で、旧東独の中では比較的経済状態が良い。それにもかかわらず、外国人の排斥を求める党に、これだけの票が集まるということは、経済問題だけでは説明できない。ブランデンブルグ州の内務大臣で、
CDU(キリスト教民主同盟)に属するシェーンボーム氏が11月末に行った発言を聞いて、愕然とした。

「ドイツにいる外国人は、ドイツ人を軽蔑しているから、ゲットーに閉じこもっている。ドイツに来る者は、わが国の指導的文化(
Leitkultur)を受け入れなくてはならない。我々の歴史は、単に言語だけではなく、文化的な態度や法律も含めて、1000年以上にわたって発展してきた。ドイツは、外国人によって共通性の基盤が破壊されるのを許してはならない」。

州政府の大臣が、このような発言をすることは、極右勢力への間接的な支援を意味しており、きわめて憂慮するべきことだ。

1992年にドイツで外国人排斥運動が燃え上がった時期を経験している私には、再び「文明の衝突」へ向けて危険信号が点滅しているような気がしてならない。

週刊 ドイツニュースダイジェスト 2004年12月11日