富裕層の脱税データを買うべきか?
「250万ユーロ(約3億2500万円)を払えば、スイスの銀行口座を使って脱税しているドイツ人1500人に関するデータを提供する」。正体不明の人物からドイツの連邦財務省に届いた連絡は、この国で大きな議論を巻き起こしている。
謎の人物は「商品見本」として、5人の顧客についてのデータをドイツ政府に提供した。国税当局が調べたところこの5人は実際に多額の資産をドイツに申告せずに、スイスの口座に隠していたことがわかり、データの信憑性(しんぴょうせい)は確認された。
政府はこの1500人について脱税調査を行えば、およそ1億ユーロ(約130億円)の追徴金が国庫に入るとしている。戦後最悪の不況のために記録的な財政赤字に苦しむドイツ政府にとっては、喉から手が出るような話である。
メルケル首相は「脱税は絶対に摘発されなくてはならない。そのためには、脱税している市民を摘発するためのチャンスを利用するべきであり、問題のデータを入手するべきだ」と述べ、データの購入を示唆している。
また野党の社会民主党(SPD)と緑の党も「キリスト教民主・社会同盟(CDU・CSU)と自由民主党(FDP)の支持者には富裕層が多いが、彼らに気配りをすることなくデータを購入して脱税者を処罰するべきだ」として、ショイブレ財務大臣に問題のCDを買うように要求している。
だがこの顧客データが銀行から盗まれた物であるということを、忘れてはならない。ドイツ政府は2年前にも、リヒテンシュタインの銀行から顧客データを盗んだ男に500万ユーロ(6億5000万円)を払って、ドイツの脱税者を摘発した。
このデータのおかげでドイツ・ポストのクラウス・ツムヴィンケル元社長のような著名人も、多額の脱税をしていたことがわかり、検察庁に摘発された。データを盗んだ者に政府が何億円ものお金を払うとすれば、将来似たような犯罪を誘発する可能性が強い。
このため保守層からは、反発する声も出ている。グッテンベルク国防大臣は「違法な手段で入手されたものに、金を払うことには個人的に抵抗感がある」と語る。また連邦議会の法務委員会のカウダー委員長も、「この顧客データは盗まれたものなので、脱税犯に対する刑事裁判の中で証拠として使うことはできない」として、データの購入に批判的だ。
だがショイブレ大臣は、「前回のリヒテンシュタイン事件の際に、このようなデータの使用を禁じた裁判所はない」として、購入について前向きの姿勢を見せている。国民の間では盗品であろうとも、データを入手して脱税犯を摘発せよという意見が強い。
ドイツの税金は日本や米国とは比較にならないほど高い。独身のサラリーマンの場合、税金と社会保険料で手取りが60%くらいになることも珍しくない。旧東ドイツ再建のための連帯税や、キリスト教徒ならば教会税も取られる。庶民は毎月税金をしっかり取られ、銀行口座の資金の出入りを国税に逐一監視されているのに、富裕層の脱税が見逃されるというのでは、人々は激怒するだろう。
長年スイスの銀行の売り物だった、「顧客の秘密厳守」の原則も事実上廃止され、捜査当局の照会には答えなくてはならない。ITの発達によって、犯罪者は大量の機密情報を以前に比べて簡単に盗めるようになった。スイスなどの銀行に資金を持ち出しているドイツの富裕層には、当分不安な日々が続くだろう。
筆者ホームページ http://www.tkumagai.de
週刊ニュースダイジェスト 2010年2月12日