メルケル首相とドイツ外交
就任早々、メルケル首相はまずフランスを、そしてブリュッセルの欧州委員会と英国を次々に訪問した。
この順番は、ドイツが今後もフランスとの緊密な協力関係を維持するとともに、EU(欧州連合)に身を埋めて「良き欧州人」であり続けようという姿勢を象徴している。
しかし、メルケル首相が前政権の外交路線に、部分的に変更を加えることは、ほぼ確実だ。
たとえば、シュレーダー前首相は、ロシアとの関係を非常に緊密化した。
シュレーダー氏のプーチン大統領との関係は、ブッシュ大統領に比べるとはるかに密接だった。独ロ接近は、歴史をひもとけば、不吉な記憶を伴っており、かつてソ連に支配されたポーランド、チェコ、ハンガリーなど東欧、中欧の国々に、強い不安感を与えた。
ロシアがチェチェン戦争で見せた強硬な態度や人権抑圧にもかかわらず、シュレーダー氏はロシアとの友好関係を深めようとした。
このため、ポーランドやチェコは、独仏よりも米国に急接近し、イラク戦争をめぐって欧州に深い亀裂が生じてしまったのだ。
メルケル首相は、シュレーダー政権よりも、中東欧諸国に配慮した外交政策を取る方針を明らかにしている。
さらに「ビジネスマン」の雰囲気を漂わせたシュレーダー氏は、中国との経済関係を極めて重視していたために、EUの対中武器禁輸措置の撤廃を積極的に求め、米国や日本政府の神経を逆撫でしていた。
メルケル首相はこの点についても、過度な対中接近政策を是正し、武器禁輸問題でもシュレーダー氏よりも慎重な態度を取るだろう。
さてメルケル首相にとって最も機微に触れる問題が、イラク戦争でこじれた米国との関係をどう改善するかである。
メルケル氏は2003年、米軍のイラク侵攻直前にワシントンを訪れて、ラムズフェルド国防長官らに対してイラクへの武力行使を支持した。
現在米国でも、戦争の正当性に疑問を呈する声が強まっていることを考えると、この態度は、賢明ではなかった。
米国側は、「1968年の学生運動世代であるシュレーダーやフィッシャーに比べると、東独の社会主義政権による独裁体制を体験したメルケルの方が、米国の対テロ戦争に理解を示すだろう」と考えるかもしれない。
11月末にドイツ人女性がイラクで誘拐された事件は、ドイツ政府もイラク情勢について、米国の支援を必要とする事態があり得ることを示した。
だがメルケル首相には、米国との無条件の宥和をめざすのではなく、「対テロ戦争の中でも、全ての手段が許されるわけではない」という、欧州独自の姿勢を貫くことを求めたい。
週刊 ドイツニュースダイジェスト 2005年12月9日