外国人とドイツ社会
ベルリン・ノイケルン地区の基幹学校(ハウプトシューレ)で、教師たちが文部当局に対して手紙を送り、「生徒の反抗的な態度のために、正常な授業は不可能だ」と白旗を掲げたが、この問題がきっかけになって、ドイツの保守勢力の間で外国人に対する風当たりが強くなり始めた。
特にバイエルン州を地盤とするCSU(キリスト教社会同盟)の政治家からは、「外国人がドイツ社会に溶け込むには、ドイツ語の習得が不可欠だ」として、ドイツ語を学ぶように強く求める声が高まっている。
同時に、多くの州が、この国への帰化を希望する外国人に対しては、ドイツに関する歴史や地理、文化についてのテストを受けることを求めている。
CSUの一部の政治家は、「社会への融合を拒む外国人は、国外退去にするべきだ」などという、極端な発言をしている。
(法律的には、そのような曖昧な理由で外国人を追放することは難しいので、かなり感情的な発言である)。
私は、「ドイツに暮らす外国人は、会話に不自由しないくらいの語学力を持つべきだ」という意見には賛成である。
ドイツ人が自分の国にいながら、外国人と意思の疎通ができず、外国にいるような疎外感を味わうというのは、不自然だからである。
さらに外国人にとっても、その国の言葉を話すことができた方が、新聞やラジオ、テレビの内容を理解できるし、文学作品や演劇などを味わうことができるので、滞在が楽しくなると思う。
アメリカへ移住した外国人たちは、ドイツにいる外国人よりも、必死で英語を勉強する。
その理由は、仕事を見つけるには英語を話すことが不可欠であり、社会保障制度がドイツほど整っていないので、仕事をしないとホームレスになる危険が高いからだ。
ドイツで外国人がドイツ語を学ばない理由の一つは、失業しても国が面倒を見てくれたために、ホームレスになる危険がアメリカよりも少ないことだろう。
特に西ドイツの高度経済成長期に、主に鉄鋼業や自動車製造業など、第一次産業が必要とした労働移民として、この国に来た外国人たちは、家族も簡単に呼び寄せることができた。
このため家の中ではドイツ語は不要だったので、母国語を話していればよかったのである。
ところが、ドイツでは第一次産業が経済の中で占める比率が急速に下がっており、サービス業が中心の国になりつつある。
そうした社会では、ドイツ語を話すことが一段と重要になる。
外国人が、社会に溶け込む努力をすることは勿論だが、過去半世紀に呼び寄せた労働移民たちが、ゲットーを作って孤立するのを許し、積極的に統合するための努力を怠ってきたドイツ人側にも、責任はある。
ノイケルンのニュースを聞いて、あわてて対策を取ろうとしても、遅すぎるのではないか。
週刊 ドイツニュースダイジェスト 2006年4月21日