ドイツと平和維持軍
ドイツ政府の中で、何人か安全保障問題を担当している知人がいるが、彼らの夏休みは取り消されてしまったかもしれない。政府部内では、ドイツ軍をレバノンの平和維持軍に参加させるかどうかで、激しい議論が行われているからだ。
きっかけは、イスラエル兵2人がレバノン南部に拠点を持つシーア派の民兵組織ヒズボラ(神の党)に誘拐されたことだ。イスラエル軍は兵士を奪還するために、ヒズボラの拠点に空爆や砲撃を加えているほか、国境を超えて地上作戦も展開している。
イスラエル側の攻撃によって、レバノンの民間人を中心に700人の死者が出ており、約50万人が難民化している。ヒズボラ側も、シリアやイランから供与されたロケット弾をイスラエル北部に撃ち込み、イスラエル側にも約50人の死者が出ている。
EUや国連では、停戦を実現した後、イスラエル国境に近い南レバノンに、国連決議に基づいた、国際平和維持軍を駐留させる必要があると考えている。
問題は、ドイツ軍を投入するかどうかである。ユング国防大臣は、当初「国連の要請があったら、断れない」と発言していたが、直ちに軌道修正してトーンを弱めた。政府部内でも慎重論が強いようだ。
その理由はまず、ドイツ軍がすでにコンゴ、アフガニスタン、コソボ、ボスニアなどで平和維持活動を行っており、レバノンにも投入されるとなると、負担が極めて大きくなること。
もう一つは、ナチスドイツによるユダヤ人迫害という、過去の苦い記憶である。CSU(キリスト教社会同盟)のシュトイバー党首らは、歴史問題を引き合いに出して、レバノンへのドイツ軍の派遣に反対している。
南レバノンに駐留する平和維持軍は、イスラエル軍とヒズボラを引き離し、場合にヨーロッパってはヒズボラの武装解除を行わなくてはならない。またイスラエル軍が停戦合意を破った場合には、武力を行使しても阻止することを求められる。
「戦争から60年経って、ドイツ兵がユダヤ人に再び銃口を向ける」。ナチスの過去と真剣に取り組んできたドイツ人にとっては、悪夢のような光景である。半世紀以上かけて築かれてきた、ドイツとイスラエルの友好関係に傷がつく恐れもある。
このため私は、ドイツにとっては戦闘部隊の派遣以外の方法で、この地域の安定に貢献する方が、利益が大きいと考えている。たとえばドイツ政府は、難民に対する人道的援助や、戦争で破壊された両国の橋や道路、住宅などインフラの再建、さらにヒズボラに比べると圧倒的に弱いレバノン軍と警察の教育に力を入れることは可能だ。
また、ドイツはヨーロッパ諸国の中で、最も中東での調停役に適した国である。同国は、ナチスの過去との対決努力によって、イスラエル政府から信頼されているだけでなく、米国のイラク侵攻に反対したために、パレスチナ人やアラブ諸国からも高く評価されているからだ。
メルケル政権は、この稀有な立場を利用して、ヒズボラに強い影響力を持つシリア政府やイラン政府に働きかけ、イスラエル兵捕虜の釈放、ヒズボラの武装解除とレバノン南部からの撤退を実現するべきだ。派兵ではなく、水面下の外交工作によって紛争の火を消すことができれば、中東地域でドイツ政府に対する信頼感は、一段と高まるに違いない。
2006年8月11日週刊ニュースダイジェスト