ドイツ版・暴力教室

「教師は生徒から完全に無視されています。生徒は教師に物を投げつけます。生徒は教材に全く関心を示さず、人をばかにするような態度を取ります。万一の時に助けを求められるように、授業には必ず携帯電話を持って行く教師もいます。私たちは、追いつめられており、どうしたらよいか、途方に暮れています」。

こんな内容の手紙を教師たちが書くということは、教師が生徒の暴力に降参したことを意味する。

ベルリンで最も外国人が多い地区の一つであるノイケルンのリュトリ基幹学校(ハウプトシューレ)の教師たちは、二月末にベルリン市当局にこうした手紙を送り、「もはや正常な授業は不可能であり、実科学校(レアールシューレ)と併合するべきだ」と訴えた。

この学校では、トルコ人やアラブ系市民の子どもたちなど、外国人が83%を占めている。

教師たちによると、生徒たちはドアを蹴破り、ゴミ箱をサッカーボールの代わりにし、壁から額縁をはがすなど、乱暴狼藉の限りを尽くしている。

ストレスのために教師の間では病欠が増え、他の学校への移籍願いを出しても、この地区に移りたいという教師がいないので、移籍できないでいる。

ベルリン市の教育大臣は、ベルリンの新聞がこの問題を報じるまで、実態を把握しておらず、あわてて警察官やソーシャルワーカーを学校に派遣するというお粗末な対応ぶり。

校舎の入り口で、子どもが凶器を持っていないかどうか、警察官がボディーチェックをするという、異常な事態となった。

もっとも、私が17年前に米国のワシントンにいた時には、学校の治安が悪化していた。

黒人が多いサウスイースト地区の学校では、拳銃を持ってくる生徒が増えたので、入り口に金属探知機が置かれていた。

ノイケルンも、かつてのワシントン並みになってきたのかも知れない。

読者の皆さんもご存知のように、ドイツ人は日本人ほど対立を恐れない民族であり、言うことを聞かない者に対しては、すごい剣幕で怒る人が多い。

そのドイツ人が、このような手紙を書いて、市当局に助けを求めるということは、生徒たちの暴力や反抗が、かなり深刻化していることを物語っている。

生徒たちの学校での振る舞いは、外国人家庭の生活の反映でもある。

教師たちは、「両親からも社会からも、将来への明るい希望を持たせてもらえない子どもたちを、学校に集めることにどんな意味があるでしょうか?」と訴えている。

過去半世紀にわたり、労働力として外国人をこの国へ呼び寄せたドイツ政府は、外国人たちの社会への本格的な統合には関心を示さず、ベルリンなどでトルコ人らがゲットーを作ることを許した。

ドイツ語を学ばなくても、トルコ語で生活することができたのである。

そうした無策が、リュトリ基幹学校の惨状につながり、9月11日事件を起こしたモハメド・アタのグループが、ドイツを拠点として悪用することを許した。

この学校の問題は、氷山の一角にすぎない。

ドイツ社会はいま、外国人の統合をめぐって、重大な岐路に立たされている。

週刊 ドイツニュースダイジェスト 2006年4月14日