SPDは復活するか?
去年はドイツ、日本ともに総選挙で政界に大きな地殻変動が起きた。日本では自民党が歴史的な大敗を喫して野に下った。同党が衆議院で第一党の座を失ったのは、初めて。54年間にわたり日本を支配した保守政党が権力を失ったのである。ドイツでは大連立政権の一党だった社会民主党(SPD)が、23%という戦後最低の得票率を記録し、深刻な危機に陥った。
SPDは19世紀に創立された、ドイツで最も古い政党である。急激な経済発展や工業化の中で勤労者の利益を守ることを旗印に掲げ、労働組合を支持基盤としてこの国の歴史で重要な役割を果たしてきた。第二次世界大戦後も、西ドイツが社会保障制度を整備し「高福祉国家」となる上でSPDは大きく貢献してきた。
SPD党員として戦後初めて首相になったヴィリー・ブラントは、東方政策によって社会主義国との緊張緩和をめざし、東西分割で被害を受けた市民を助けるために努力した。このことはSPDの人気を高め、1972年の連邦議会選挙で同党は45・8%というSPD史上最高の得票率を記録した。この時に比べると、去年の選挙の得票率はほぼ半分に下がったことになる。
ドイツにはVolkspartei(国民政党)という言葉がある。多くの国民から広く支持され、国政の中で重要な位置を占める党のことだ。これまではCDU・CSU(キリスト教民主・社会同盟)やSPDが国民政党と見られてきた。だが有権者のおよそ2割しか支持していないSPDは、もはや国民政党ではない。
SPDの凋落の原因は、同党が何をめざしているのかがはっきりしないことだ。1998年に緑の党との連立政権を率いたシュレーダー氏は、ドイツ企業の競争力を高めるために社会保障制度の削減を実行した。ドイツは人件費が高すぎるので、雇用を増やすには社会保障コストを減らすことが必要だと主張したのである。
特に失業者への給付金を大幅に減らした「ハルツIV」や公的年金の実質的な減額は、国民の間に強い不満を生んだ。多くの市民が「SPDは勤労者を助けるという結党以来の理想を裏切った」と考えた。去年の選挙ではSPD支持者の内164万人が棄権し、105万人がCDU・CSUなどの保守勢力に鞍替えした。
党内の路線闘争も激化し、左派に属するベック、右派のミュンテフェリング、シュタインマイヤーの間で激しい攻防が繰り広げられたが、この確執は国民のSPDに対する失望感を深めるばかりだった。去年党首に選ばれたジグマー・ガブリエル氏は左派に属し、シュレーダー路線の修正をめざしている。左派政党リンケが躍進して11・9%の得票率を記録したことは、国民の間で社会保障削減について不満が高まっていることを示している。
SPDは、すでに州議会ではリンケと共闘しているが、今後連邦議会選挙でも協調関係を深めるかどうかが、注目される。リンケは社会主義時代に東ドイツでSPDを強制併合した共産主義政権の流れをひいている。このためSPDの右派からは、リンケとの中央政界での共闘に強い反発が出る可能性がある。
SPDが有権者の信頼を回復して、国民政党の地位を回復するまでにはかなりの年月を要するだろう。今年5月にノルトライン・ヴェストファーレンで行われる州議会選挙では、SPDはまだ苦戦を強いられるのではないか。
週刊ドイツ・ニュースダイジェスト 2010年1月22日号