シュレーダーの黄昏

7月1日、ベルリンの連邦議会・本会議場。

「首相信任案」が否決されると、シュレーダー首相は言葉もなく、議場を立ち去った。

議会に首相不信任の態度を表明させることによって、連邦大統領に議会を解散させ、選挙を1年前倒しで行うというのは、シュレーダーが書いたとおりのシナリオである。

シュレーダーは選挙を前倒しにする理由の一つとして、「政府が統治能力を失っている」ことを挙げた。

だが、ノルトライン・ヴェストファーレン州議会選挙での歴史的大敗をまつまでもなく、社会民主党は、州議会選挙を行うごとに、得票率を下げていった。

彼にとって致命傷となったのは、経済問題である。

シュレーダー氏は、「私の業績は、失業者の数を本格的に減らせるかどうかで、判断してほしい」と7年前に首相に就任した時に言っているが、この物差しで計れば、シュレーダー氏は1期目で首相の座を明け渡していても、不思議ではなかった。

2002年の選挙で勝ったのは、鋭敏な政治的嗅覚によって、イラク戦争に反対し、人々の反戦・反米感情を巧みにくすぐったからにすぎない。

いまドイツ経済は重症であり、今年2月には、戦後最悪の失業者数を記録するに至った。

シュレーダーは、社会保障制度と税制にメスを入れることによって、ドイツ企業の国際競争力を高めるための、本格的な第1歩を踏み出した。

ドイツ経済が泥沼から這い上がり、雇用を拡大するには、社会保障費用と税金を下げることが不可欠である。

その方向性は正しかったのだが、シュレーダー氏は、社会保障削減の必要性を市民に理解させるための努力を十分に行わなかった。

このため国民は、生活水準を悪化させる年金削減や、健保制度の改革について、強い不満を抱いている。

「シュレーダーの路線は、強者を利し、弱者にしわ寄せをもたらすネオリベラリズムだ」として、社民党を脱退して新しい左派政党に加わる者まで現れた。

私が極めて深刻だと思うのは、政権交代が実現してメルケル女史が首相になっても、「ドイツは変わらない」とあきらめている市民が多いということである。

次期政権が、この国に必要な税制改革、社会保障改革といった茨の道を本格的に踏破できるかどうかは、未知数なのである。

週刊 ドイツニュースダイジェスト 2005年7月7日