社会保障小国ニッポン
毎年ドイツの企業や市民が働いて生み出す価値の、ほぼ3分の1は、社会保障のために支出されている。
連邦労働省の調べによると、2006年の時点で、国内総生産(GDP)の30・3%が、社会保障のために使われた。
その額は、実に7002億ユーロ(112兆32億円・1ユーロ=160円換算)にのぼる。
具体的には、年金、介護費用、失業者への給付、家賃の補助、生活保護などである。
OECD(経済協力開発機構)は、各国の社会保障支出がGDPに占める比率を、比較する統計を毎年発表している。
この統計によると、2003年の時点でドイツは、GDPの27・3%を社会保障にあてていた。スウェーデン、フランスなどに次いで世界四位である。
これに対して、日本がGDPの内、社会保障に回す比率は、17・7%で、ドイツを約10ポイントも下回っている。
これは、OECDの平均値の20・7%をも下回る数字である。世界有数の経済大国にしては、低いのではないだろうか。
政府による社会保障は、格差社会のショックをやわらげる働きをしている。
健康で職を持つ人々が、年老いたり病気になったりして働けない人を支える。戦後西ドイツ経済の大原則である「Soziale Marktwirtscahft(社会的市場経済)」の具体的な表われである。
米国は、GDPの16・2%しか社会保障に回していない。
ダイナミックな経済成長を実現するために、強者が弱者を顧みない、純粋資本主義の国なのである。
だが、ドイツは米国とは異なる道を歩んでいる。
もっとも、シュレーダー前首相は、「アゲンダ2010」の名の下に、社会保障サービスを減らして、企業の国際競争力を強めようとした。
このため、社会保障支出がGDPに占める比率は、2005年から少しずつ減り始めている。
多くの市民が社会保障の削減に不安感を持っているが、その水準は、まだ高いというべきだ。
私は18年前からドイツに住んでいるが、毎年日本に行くたびに、ドイツ以上に貧富の差が拡大し、ホームレスの市民や、インターネットカフェ難民が増えているのを見て、心を痛める。
OECDが発表した統計は、日独間でなぜこのような差が表われるのかを、はっきり示している。
日本人の多くは、「日本は社会保障制度が整った国」と思っているようだが、国際比較をすれば、必ずしもそうはいえない。
5000万人分の国民年金番号が宙に浮いても、市民は泣き寝入りさせられている。未曾有の不祥事だが、政治家も官僚も、責任をとろうとはしない。
ドイツは日本に比べると、華やかさに欠ける国かもしれない。
しかしドイツでは、国富の一部を市民に還元しようとする姿勢が、日本よりも強い。
社会保障だけでなく、市民の憩いの場である公園も、その例である。
東京で次々と建てられる超高層ビルを見ながら、「強者は、もう少し弱者のことを顧みても良いのではないか」と考えるのは、私だけだろうか。
現在のままの状態が続けば、30年後の日本は、米国にきわめて似通った国になっているかもしれない。
週刊ニュースダイジェスト 2008年3月21日