「追放問題」=ドイツ・ポーランド間の火種
両国の上には、今なお第二次世界大戦中の経験が暗い影を落としているからだ。現在ドイツとポーランドの間で、「追放問題」をめぐって激しい論争が再燃していることは、過去の傷が癒えていないことを示している。
ポーランドはナチスによる侵攻で最も大きな被害を受けた国の一つである。
ドイツとソ連によって分割されて地図上から消滅し、ポーランド国民の17%にあたる600万人が死亡した。首都ワルシャワだけでなく大半の都市が瓦礫の山と化した。
現在ポーランド領のシレジア地方は、終戦までドイツ帝国の領土だった。
だがポツダム合意によって、この地域がポーランドに編入されたため、ドイツ人約690万人が追放され、オーデル川から西側の地域へ強制的に移住させられた。西へ逃亡する途中に、ポーランド人による襲撃や、飢えや寒さで死亡したり、行方不明になったりした市民も多い。
また、多くのドイツ人がシレジア地方に持っていた土地や家屋を失ったが、今日まで全く補償を受けていない。現在チェコ領のボヘミアや、ルーマニアなどからもドイツ人が追放されている。
旧ドイツ領から追放されたドイツ人の総数は、約1400万人前後と推定されており、その内211万人が死亡、もしくは行方不明になった。この問題は「追放」(Vertreibung)と呼ばれて、ドイツ人の間では戦争中に受けた最大の被害の一つとして記憶されている。
ドイツ政府はこれらの被害者と、他国での紛争で住民追放の犠牲となった人々について記録し、思い起こすための資料館をベルリンに設置する方針である。
この施設の管理評議会のメンバーの一人に、「追放被害者連盟」の代表であるエリカ・シュタインバッハ氏が就任することになっていたが、ポーランド政府が強い抵抗を示している。ポーランド人はドイツ社会で追放被害者が影響力を持つことを警戒しているのだ。
ポーランド政府のドイツ問題に関するアドバイザーであるウラディスラフ・バルトジェフスキー氏が、シュタインバッハ氏をホロコースト否定論者にたとえたことは、この問題がポーランド人の国民感情をいかに刺激しているかを物語っている。
30年前の西ドイツでは、追放問題を歴史にとどめようという動きは今日ほど強くなかった。
だがドイツ統一後は、住民追放による被害を忘れてはならないという意見が強まっており、この問題についての本や映画が次々に発表されるようになった。歴史教科書の中でも追放問題に関する叙述が増えている。
ドイツが国家主権を回復したことで「我々は加害者だったが、被害者でもあった」と考える人が増えているのだ。いわば「普通の国」に近づこうとする動きである。
だがこうした傾向は、ポーランドのような旧被害国からは警戒され、「報復主義だ」と批判される。シュタインバッハ氏をめぐる論争が、両国の関係全体を悪化させることだけは防がなければならない。
週刊ドイツ・ニュースダイジェスト 2009年3月14日