ドイツ政府と人権問題

7月17日午後、ミュンヘンの中心部にある広場マリエン・プラッツに、「虐殺をやめろ!」というシュプレヒコールが響いた。ウイグル人と彼らを支援するトルコ人たちが、中国政府に抗議するデモを行ったのである。女性たちはベールをかぶっており、イスラム教徒が多いことがわかる。彼らの中には、トルコの国旗に似ているが下地が青色の旗を掲げ、現在中国の一部であるウイグル人の自治区を「東トルキスタン」という名前で独立させることを要求している人もいる。

7月初めに中国の新疆ウイグル自治区で発生した暴動では、ウイグル人と漢民族が衝突しただけではなく、警官隊がウイグル人の暴徒に発砲した。中国政府の発表によると、双方におよそ190人の死者が出た。しかし外国人ジャーナリストは現地で当局が許可した範囲内の取材しかできないので、実際の犠牲者数を確認することはきわめて難しい。

ミュンヘンに本部を持つ世界ウイグル人会議は、「死者は1000人から3000人に達する」と推定しており、中国政府に対し「ウイグル人に対する人権侵害を即刻やめるべきだ」と要求している。ミュンヘンでは中国人観光客がウイグル人に襲われる事件も起きており、中国外務省は同市への旅行を控えるよう自国民に勧告している。

シュタインマイヤー外務大臣は7月9日に声明を発表し「新疆ウイグル自治区で起きている衝突、とくに多数の死傷者に強い懸念を抱いている。(漢民族、ウイグル人)双方とも暴力ではなく対話によって紛争を解決するべきだ。暴力では、民族対立や社会の摩擦を解決することはできない」と事態の沈静化を呼びかけた。

ドイツ政府は、人権問題にきわめて敏感である。シュタインマイヤー氏は、7月15日にチェチェンで人権活動家ナタリア・エステミロヴァ女史が誘拐され射殺体となって見つかった時にも、「この卑怯な犯罪を強く糾弾する」と述べて事件の真相解明を求めた。犯人は捕まっていないが、市民団体「メモリアル」に属していたエステミロヴァ氏は、チェチェンでのロシア軍の残虐行為などを公表しており、軍関係者にはけむたい存在だった。

6月にイラン市民が「選挙結果に不正な点がある」として抗議デモを行い、警官隊と衝突して死傷者が出た時にも、メルケル首相は「ドイツは発言と集会の自由を求める市民の味方だ」と述べ、イラン政府に対して暴力によって市民を弾圧しないように要求した。

ドイツ人が外国での人権侵害を厳しく批判する背景には、ナチスがユダヤ人や異民族を弾圧したいまわしい過去に対する反省がある。ドイツの憲法である基本法の第1条第1項には、ナチスの過去と対決する戦後ドイツ人の姿勢が現われている。

“Die Wurde des Menschen ist unantastbar. Sie zu achten und zu schutzen ist Verpflichtung aller staatlichen Gewalt. ?(人間の尊厳は不可侵である。人間の尊厳を重んじ、守ることは全ての国家権力の義務である。)ドイツの政治家、官僚が外国の人権侵害を無視できない理由は、ここにある。「言葉だけでは弾圧される市民を救えない」という批判もあるかもしれない。だが政治は言葉の戦いである。外交の世界では、黙っていることは事態を受け入れていると解釈される。貿易相手として重要な国に対しても、人権侵害の排除を求めるドイツ政府の姿勢に敬意を表したい。

週刊ニュースダイジェスト 2009年7月31日号