モンテネグロ独立の波紋

 

五月下旬にモンテネグロで、セルビアからの分離をめぐる国民投票が行われ、独立派が僅差で勝利を収めた。

セルビア政府も、この決定を受諾した。

この出来事は、1990年代の初めから、バルカン半島で繰り広げられた、旧ユーゴスラビア連邦解体のドラマが、最終章に入ったことを物語っている。

平和裏に行われた今回の独立表明とは対照的に、10年以上前にボスニア・ヘルツェゴヴィナやクロアチアを中心に繰り広げられた内戦は、凄惨極まりないものだった。この戦争は、ドイツを初めとする西欧諸国にとっても、大きな打撃だった。

ヨーロッパ人たちは、自分たちの地域で民間人が虐殺される事態に直面しても、自分たちの力で紛争に歯止めをかけることができなかったからである。

1995年にセルビアが、和平交渉のテーブルに着いたのは、アメリカが軍事介入したためである。

つまり西欧諸国は、アメリカが助けてくれないと何もできない、張子の虎であることを、さらけ出してしまったのである。同じことは、国連についても言える。たとえば国連の平和維持軍に属していたオランダ軍兵士たちは、ボスニアのスレブレニッツァで、約7000人のイスラム教徒が、セルビア系武装勢力に虐殺されるのを、防ぐことができなかった。ボスニア内戦は、第二次世界大戦後、ヨーロッパで最大の悲劇を生んだのである。

ベルリンの壁崩壊後、自由と民主主義がヨーロッパに広がる中、この内戦はその輝かしい歴史の中で、大きな汚点を残したのである。

ドイツなど西欧諸国は、モンテネグロ独立が平和的に行われても、まだ油断してはならない。

コソボ地区のアルバニア系住民が、この動きを見て、セルビアから正式に独立しようとする努力を一層強めることは間違いないからである。

再びセルビア系住民との間に衝突が起きないように、平和維持軍は十分警戒する必要がある。

さらに、ユーゴスラビア連邦に属していた国の中には、スロベニアのように、すでにEUに加盟し、ユーロ導入のための基準すら達成した、経済の優等生もあるが、ボスニアのように、内戦終結から11年も経っているのに、経済復興が進んでいない国もある。

私は今年4月にボスニア・ヘルツェゴヴィナ南部のモスターへ行ったが、町の至る所に廃墟や瓦礫の山が残っているのを見て、戦慄に襲われた。

独立国家として生きていくには、小さすぎるこれらの国に、ドイツなど
EU諸国はこれまで以上に援助の手を差し伸べるべきだろう。

長期的には、スロベニア以外の国々もEUに受け入れ、これらの国々が再び狂った民族主義の犠牲にならないように、見守るべきではないだろうか。

それが、ネレトバ川を血に染め、苦痛の内に死んでいった何万人もの市民の霊を慰めるための、せめてもの手向けの花となるのではないだろうか。

 

週刊 ドイツニュースダイジェスト 2006年6月2日