G8サミットの光と影
社会主義時代の東ドイツで科学者だったメルケル首相は、異色の政治家である。これまで、G8サミット開催国の首相や大統領たちは、市民が先進国首脳会議に反対するデモを行っても、全く関心を示さなかった。
だがメルケル氏はサミット前に、非暴力に徹する市民団体に対しては、「グローバル化に対して、なぜあなたたちが抗議するのかは、理解できる」という姿勢を示した。サミット開催国の首相が、これほど反対勢力にソフトな態度を取ったのは、珍しい。
西ヨーロッパ市民の間で、経済グローバル化に対する不信感は、依然として根強い。彼らは、グローバル化によって生産施設が、労働コストの低い中東欧やアジアに移転され、雇用が脅かされると思っている。
今年になって、米英のヘッジファンドやプライベート・エクイティーなどの投資会社が、ヨーロッパで活発に企業買収を行っている。「イナゴ」や「ハゲタカ」と呼ばれる投資ファンドによって、伝統的な企業が買収されたり、解体されたりするのではないかと、不安を抱いている人も少なくない。
フランスとオランダの市民が、数年前に欧州憲法に関する国民投票で「ノー」と言ったことも、彼らがこの憲法をグローバル化の象徴と見なしたからである。
グローバル化によって、先進国とアフリカやアジアの貧しい国々との間の格差が、一層拡大することに懸念を抱く人もいる。
「市場の見えざる手」や自由競争を信奉する、アングロサクソン型の資本主義社会は、競争に負けた敗者には無慈悲であり、勝ち組には気が遠くなるような報酬を準備する。
だがこの弱肉強食のシステムは、戦後西ドイツ社会の基本原理である「社会的市場経済(Soziale Marktwirtschaft)」の原理とは、相容れない。
ドイツ人たちは、純粋に競争原理だけに従うのではなく、政府が競争の枠組みを規定し、敗者に対しては、社会保障など最低限の安全ネットを準備するシステムを採用した。
この考え方は、キリスト教の影響が強く、秩序を好むドイツ人のメンタリティーに合っていた。それだけに、ジャングルの掟が支配するような、グローバル資本主義に反感を持つドイツ人は少なくない。
CDU(キリスト教民主同盟)元幹事長ハイナー・ガイスラー氏が、サミット直前に、グローバル化に反対する団体「アタック」に加わったことは、そのことを象徴している。
メルケル首相が、地球温暖化に歯止めをかけるための二酸化炭素削減策という、発展途上国にとっても重要な問題を議題の一つにしたことも、公共の利益を重視するよう米国に求めるメッセージだった。
G8直前に、ロストクで一部のデモ隊が警察官と衝突し、双方に1000人近いけが人が出たことは、残念である。
この事件で、非暴力的な手段によってサミットに抗議しようとしていた市民団体のメッセージがかき消されてしまったからだ。庶民にはまず泊まれない、超高級ホテル「ハイリゲンダム・ケンピンスキー」で、ベルリンの壁を思わせるフェンスと鉄条網に囲まれ、美しい大海原を見ながら国際経済を語る各国首脳たち。
メルケル首相の努力にもかかわらず、グローバル化の勝ち組と、抵抗勢力の間の溝が、埋められたとは思えない。
週刊ニュースダイジェスト 2007年6月15日