ドイツ統一はなぜ「失敗」したのか 熊谷 徹
この夏、ミュンヘンから、旧東独の最北端にあるメクレンブルグ・フォアポンメルン州へ車を走らせた。10年前に比べて、高速道路や鉄道、市民の遊歩道などインフラの整備が大幅に進んでいたほか、州都シュヴェリーンの建物も外壁を塗り替えられ、見違えるように修復されている。
旧西独に比べても遜色ない、大規模なショッピングセンターが作られ、ホテルやレストラン、喫茶店でも、10年前に残っていた社会主義国独特の、よそよそしく殺風景な感じではなく、明るい雰囲気が感じられるようになった。だが、こうした表面上の変化とは対照的に、旧東独経済が抱える問題は、日に日に深刻さを増している。
2004年9月14日、旧東独ブランデンブルグ州のシュトラウスベルグで行われた講演会の席上、コール元首相が行った発言は、大きな注目を集めた。この演説の中で彼は初めて、旧東独の経済再建の見通しについて、判断を誤ったことを認めたからである。
「統一直後私は、旧東独の経済について、花が咲き乱れる野原のように発展すると皆さんに言いました。しかし今になって考えてみると、これは統一の熱狂と興奮の中での、(十分考えずに行われた)発言でした。私は、旧東独の経済再建がいかに困難な道であるかを、過小評価していたのです」。
ビスマルク以来の偉業を達成した立役者が、「失敗」を認めざるを得なかった背景には、統一から14年も経った今も旧東独が、経済的に自立を果たしておらず、西側からの資金援助に依存しているという現実がある。
旧東独のハレ経済研究所(IWH)によると、統一からの13年間に、連邦政府、旧西独の州政府、社会保険の運営者が、旧東独のために行った粗支出(gross transfer)は、1兆2500億ユーロ(約168兆7500億円)に達する。
この支出から、旧東独市民が払っている所得税や、社会保険料を差し引いた純支出(net transfer)も、9500億ユーロ(約128兆2500億円)にのぼる。つまり、過去13年間の旧東独の購買力(需要)は、西からの128兆円もの資金援助によって、支えられてきたのだ。
IWHは、2003年に西から東へ注ぎ込まれた資金を、800億ユーロ(10兆8000億円)と推定しているが、これは国内総生産(GDP)の約4%にあたる額である。
こうした天文学的な資金投入にもかかわらず、旧東独経済のエンジンは、本格的に始動していない。ドイツ政府の「2004年版・統一現状報告書」によると、旧東独の経済成長率は、1993年には11・9%と、旧西独(マイナス2・6%)を大幅に上回っていたが、2003年にはわずか0・2%に落ち込んだ。
1998年以降の経済成長率は、ほぼ毎年、旧西独を下回っている。勤労者一人あたりのGDPも、旧西独よりも約25%低い。
旧東独の低迷は、大量失業問題が、統一から14年間経った今も、全く解決されていないことに端的に表れている。勤労者数は、1996年から2002年までに4・5%減少した。特に統一で旧国営企業が閉鎖されたり、民営化後に人員が大幅に削減されたりしたために、製造加工業の勤労者数の下落が著しい。
1991年には約170万人が製造加工業に従事していたが、2003年の製造加工業の勤労者数は、90万人に落ち込んでいる。
連邦労働局によると、今年9月の旧東独の失業者数は、約156万人。完全失業率は18%で、西側の8・2%を大幅に上回っている。しかもこの失業率には、国の援助で職業訓練を受けている市民や、国が運営する雇用創出事業(ABM)で、一定期間にわたり仮の仕事についている市民は含まれていない。
五大経済研究所は、「統計に表れない失業予備軍も含めると、旧東独では240万人、つまり就業可能者の25%が職を失っていることになる」と指摘している。
社会主義時代の東独では女性の就業率が高かったため、今日最も深刻な失業禍に苦しんでいるのは女性たちで、働く意志のある女性のほぼ5人に1人が失職している。
私がベルリンで話を聞いたブリギッテ・ケルツさん(44歳)は、19歳の娘を抱えたまま、1991年にベルリン東部にある発電所設備のメーカーから解雇された。「統一後コンピューターに関する職業訓練を受けて、多くの企業に履歴書を送りましたが、40歳を超えている私を取ってくれる企業は全くないのです。このため、国が運営するABM企業で働いていますが、1年経ったら辞めなくてはなりません。将来に対する不安で、気が休まることがありません」と語るケルツさんの顔には、疲れと諦めがにじみ出ていた。
深刻な失業問題は、旧東独から若い活力を奪いつつある。旧東独に見切りをつけて、職を求めて西側に移住する若者が後を絶たないため、統一から14年経った今も、旧東独の人口が減り続けているのだ。連邦統計局によると、旧東独の人口は1991年から去年までに120万人、6・6%も減少した。
ハレ経済研究所のガブリエレ・ハルト研究員らの調査によると、旧東独ザクセン・アンハルト州では1990年からの9年間に8万6000人が西側に移住したが、その内54%が18歳から30歳までの若い年代だった。私の周辺にも、西側移住組が目立つ。
知人のKさんは、旧東独テューリンゲン州から、両親・兄弟とともに一家揃ってミュンヘンに移住してきた。「私が生まれた町では、全く仕事がないし、職に就けない若者たちはぶらぶらしているだけ。西側に移って来て本当に良かったと思っている」と語るKさんは、旧西独の生活に完全に溶け込んでいる。シュヴェリーン市に住むペール夫妻の二人の娘も、旧東独では仕事が見つからないので、ハンブルグなど西側の町で就職した。
さらに旧東独では、統一後の経済的な不安から、出生率が大幅に低下していることも加わり、2050年には人口が現在の半分に減るという予測もある。統一以来人口が60万人も減ったザクセン州では、現在市民の平均年齢が42・3歳だが、2020年には49歳に上昇すると予想されている。
壁の消滅から14年も経っているのに、旧東独が若者たちに将来への希望を与えられないでいることは、ドイツ統一が経済に関しては失敗したことの証拠である。
では、コール元首相が約束した「花咲く野原」は旧東独になぜ出現しなかったのだろうか。
彼は冒頭で紹介した講演会で、政府の見込み違いだけでなく、旧西独の企業が投資をためらったことを批判した。「西独の経営者の中には、東独の企業を存続させることには関心がなく、東独の1700万人の消費者だけに関心を持っている者がいた。彼らは、西独の生産能力が過剰になることを恐れて、東独に新たな生産設備を作ろうとはしなかったのだ」。
コール氏はその例として、西独の化学業界が、東独の老朽化したロイナ工業地帯に投資して近代化することを拒んだために、フランスのミッテラン大統領に懇願して、同国のエルフ社の投資を誘致しなくてはならなかったことを挙げた。またコール元首相は、旧東独の旧国営企業が統一後の変化に耐えて、4年から5年は存続すると考えたことも、楽観的に過ぎたと自己批判する。ソ連が崩壊したために、これらの企業は最も重要な輸出先を失い、経営難に追い込まれたのである。
だが旧東独企業の破綻には、コール氏が、西独経済界の反対を押し切り、東独市民の感情に配慮して、西独マルクと東独マルクを1対1で等価交換させたことも影響している。この通貨同盟によって、東独の製品はソ連や東欧諸国にとって高くなりすぎ、競争力を失ったのである。
また、旧東独が西側の経営者にとって、魅力を失いつつあることも確かだ。旧東独の生産性は西側の71%にとどまっているにもかかわらず、勤労者一人あたりの賃金水準は、西側の81%に達しているため、旧西独の企業にとっては、投資するうまみが少ない。
五大経済研究所も、去年発表した報告書の中で「旧東独の企業では投下資本の利益率が、旧西独を4%下回っている」と指摘している。むしろ、今年5月にEUに加盟したチェコ、スロバキア、ポーランド、ハンガリーなどの国々に生産拠点や経理・庶務部門を移転した方が、コスト削減効果がはるかに大きいのだ。
シーメンスやローデンシュトック、SAPなどの有名企業が、生産設備や経理部門の移転先として今年選んだのは、旧東独ではなく東欧やアジアの国々ばかりだった。
ドイツ政府は旧東独に投資する企業に対して、補助金や特別融資、税制上の優遇措置による支援措置を続けている。それにもかかわらず、企業が毎年旧東独に行う設備投資は、1995年の1056億ユーロ(約14兆2560億円)をピークに年々減少し、8年後には675億ユーロに落ち込んだ。
住民一人あたりの新規設備投資額も、旧西独を11%下回っている。統一直後の1991年には、創設された企業から、廃業した企業の数を差し引いた純増分は、12万9000社だったが、今ではわずか5300社に落ち込んでいる。
ドイツ政府は、来年から2019年までに、旧東独に1560億ユーロ(約21兆6000億円)もの資金を投入することを決定している。
だが統一から14年間巨額の出費を行ったにもかかわらず、旧東独経済がテイクオフを果たしていないことから、旧西独の経済学者の間には、資金援助を減らすべきだという意見が出始めている。ミュンヘンのIFOなど五大経済研究所は、去年11月に発表した報告書の中で、「投資企業に対する補助金などの措置は、旧東独経済の発展を促す上で、有効ではないため、今後は減らすか、より効率的に行うべきだ」と指摘した。
経済学者の間では、旧西独にも産業構造のために、経済力が弱い地域があるのだから、もはや旧東独だけを特別視して、補助金などを湯水のように投入するのはおかしいという意見が強まっているのだ。また、ABM(雇用創出措置)などの失業対策も、再就職のチャンスを増やすことにはつながっていないので、中止するよう求めている。
彼らは、「政府の介入によって、旧東独の経済状態を改善できる可能性は限られているので、今後は市場メカニズムに任せるべき。東西間の経済格差や東側の人口減少は、事実として受け入れざるを得ない」として、事実上旧東独という患者について、さじを投げているのである。
経済学者たちが、旧東独への資金投与を見直すよう警告している背景には、ドイツの財政状態が近年の不況によって悪化しているため、来年度もユーロ圏参加基準の一つである財政赤字のGDPに対する比率が、3%を上回る恐れが強まっていることが挙げられる。ユーロ圏の主要国であるドイツが、4年連続で参加基準に違反し続ければ、長期的に見てユーロの信用性にとって重大な脅威となりかねない。
ホルスト・ケーラー大統領は今年9月に「東西ドイツの間に経済格差が残るのは避けられないし、格差を無理に縮めようとすると莫大な補助金が必要になる。東でも西でも、自分の住んでいる所で仕事を見つけられない人は、他の地域に移る覚悟が必要だ」と発言して、旧東独の州政府や市民から強い批判を浴びた。
この発言は、旧西独の指導層の間で、「財政事情が逼迫する中、先端技術の開発振興や教育への歳出を増やすべき時代に、東への援助をこれまでと同じように続けることはできない」という見方が強まっていることを象徴している。
一方、旧東独市民の統一政策への不満も高まる一方だ。アレンスバッハ世論研究所が今年6月に行ったアンケート調査によると、「ドイツ政府の旧東独再建政策に満足している」と答えた人は、回答者全体の10%にすぎなかった。
またシュレーダー政権は、来年一月から失業者に対する救済金を大幅に減らして、再就職への圧力を高める法律(ハーツ4)を施行させるが、この改革で失業救済金の削減を受ける市民の半分から3分の2は、旧東独に住んでいる。このため、特に旧東独ではハーツ4法案に対する不満が特に強くなっている。
旧東独市民の不満は、極右政党の大躍進という形で噴出してきた。今年10月にザクセン州議会で行われた州議会選挙では、ネオナチ政党NPDが得票率を前回の1・4%から9・2%に伸ばした。NPDがドイツの州議会で議席を獲得したのは、36年ぶりのことである。
ブランデンブルグ州議会の選挙でも極右政党DVUが、得票率を6・1%に引き上げた。極右政党は初めて選挙戦で共闘し、ハーツ4法案への反対姿勢を前面に押し出すことで、社民党やキリスト教民主同盟などの在来政党から、大量の票を奪うことに成功したのである。
NPDは現行憲法の廃止や、外国人の社会保障制度からの締め出しなど、常軌を逸した政策を打ち出している。そのような過激政党に票を投じるということは、旧東独市民の絶望がいかに深いかを物語っている。
本誌04年5月11日号でお伝えしたように、ドイツ政府は、若年層の雇用を拡大し、企業の国際競争力を高めるために、高齢者の生活水準が低下するのを承知の上で、戦後最も大規模な社会保障制度の改革を断行し、社会保険料と人件費を引き下げる道を選んだ。
そう考えると、ドイツ政府は旧東独についても、14年間にわたって続けてきた、西側との経済格差を多額の資金投与によって縮めようとする作業に区切りをつけ、財源を教育や研究開発など、より将来の成長に寄与する方向に向けようとする可能性が高い。
このため、「旧西独は、できるだけのことはやったが、もはや差は縮まらない。やる気のある者は、西へ来い」という、10年前には想像もできなかった冷たいメッセージが発信されているのだ。見切りをつけられた旧東独市民、特に中高年齢層の不満は、今後一段と高まるだろう。
政治的・法的には急速に達成されたドイツ統一が、経済に関しては事実上頓挫したことは、半世紀近く分割されていた間に、東西の格差がいかに広がっていたか、そして旧西独の政治家たちが、社会主義支配の爪痕をいかに軽く見ていたかを物語っている。
ドイツがEU加盟国の間で、経済成長率やユーロ圏参加基準に関して劣等生の地位に転落した事実には、第二次世界大戦を引き起こした「罰」としての東西分割が、この国に課した負の遺産も影響しているのだ。ドイツがこの歴史の復讐から解き放たれるまでには、まだ相当の時間がかかるだろう。
毎日新聞社エコノミスト 2004年12月14日号