生保販売を妨げるシュレーダー政権の社会保障改革
熊谷 徹
ドイツでは、いま社会保障制度の見直しが、日本を上回る規模で行われている。生命保険のセールスマンにとって、公的年金の削減などを含んだ法律の改正は、通常ならば民間の生保商品の売り上げを伸ばすための、チャンスであるはずだ。シュレーダー政権はことあるごとに「これからは、老後の備えを政府だけに頼らずに、国民一人一人が自分の責任で行うべきだ」と強調しているからである。
こういう時代には、民間の生保商品の売り上げが増えて当然である。ところが、収入保険料増大の期待は空振りに終わり、2004年は多くの生保マンにとって、不満の多い年になった。その理由をお伝えしよう。
* 非課税措置の廃止決定
シュレーダー政権は、2005年1月に施行する「高齢者収入法」の中に、貯蓄型生命保険の満期保険金を一括払いで受け取る際の、非課税措置の撤廃を盛り込んでいた。ドイツでは、これまで保険期間が12年を超える生命保険の保険金については、税金が免除されており、このことが市民の間で貯蓄手段として生命保険の人気が高い理由の一つになっていた。
しかし、シュレーダー政権は公的年金保険料の非課税措置と、支払われる年金への課税強化に伴って、民間の生保商品についても、保険料の課税対象額からの控除と、支払われる満期保険金への課税を決定したのだ。
* 駆け込み契約者を期待
ただし満期保険金が課税されるのは、2005年1月1日以降に締結された契約に限られ、その前日までに販売された生命保険については、満期保険金に税金がかからない。このため生保業界は、「2004年の末までに生命保険を買えば、税金を節約できます」というスローガンの下に、ダイレクトメールや新聞広告を使って、一大キャンペーンを開始した。
私のアパートの郵便受けにも、銀行や生保会社から、「これが満期保険金に非課税措置を受ける最後のチャンスです」として生保商品の購入を勧める手紙が、山のように舞い込んだ。
*失業保険制度に改革のメス
ところが、生保業界が期待したような、「駆け込み契約者」は一向に増えなかった。その最大の理由は、シュレーダー政権が社会保障制度改革の一環として断行した、失業保険制度の見直し(提唱者の名前を取ってHartz4=第四次ハーツ改革と呼ばれる)だった。この国では失業率が約10%という高い水準からなかなか下がらないが、政府は、400万人を超える人々が就職しない理由の一つが、失業保険の給付金が高すぎることにあると判断した。
失業して1年間は、失業保険金が支払われ、それ以降は失業援助金が出るのだが、失職してから60ヶ月経っても、離職時の手取り所得の3分の2を受け取ることができた。つまり支出を減らせば、失業援助金だけで生活することが可能だったのである。それどころか、ホテルの従業員やウエイトレスなど賃金水準の低い仕事について、税金や社会保険料を支払うと、失業援助金よりも手取り所得が低くなってしまうという奇妙な現象も起きた。これでは、米国のように必死で就職しようという気持ちにはならないだろう。
* 生命保険は「財産」
このためシュレーダー政権は、2005年1月1日から失業援助金を廃止し、失職から1年経っても仕事が見つからない場合には、失業保険金を生活保護と同じ水準に下げることを決めた。つまり、失業した時に国からもらえる支給額を引き下げることによって、人々が再就職するための圧力を高めようという作戦である。
さらに、失業者が貯金、有価証券、高級車、骨董品、美術品、不動産など「処分できる財産」を持っている場合には、原則として失業保険金も支給されない。生保業界にとって不運だったことは、政府が生命保険や年金保険も、「処分できる財産」の中に含めたことである。
もっとも、財産を完全に処分しなければ、失業保険金を受けられないというわけではない。最高1万3000ユーロ(176万円)、1948年以前に生まれた人には最高3万3800ユーロ(456万円)までならば、財産があっても失業保険金を受けられるという規定が設けられている。
* 失業保険金がもらえなくなる?
しかしこの改革案が大きく報道され、議論が高まるとともに、市民の間では「生命保険を持っていると、失業保険金をもらえない」という不安感が急速に広まった。このため、生保商品のセールスマンが購入を勧めても、人々は関心を示さないのである。
ゴータ生命保険会社が行ったアンケート調査によると、回答者の44%が「Hartz4の改革が実行されたら、生命保険を新たに買う気はない」と答えている。「生保商品の非課税措置が受けられるのは、2004年末まで」というキャッチフレーズも、「生命保険は失業保険金を受け取る時の妨げになるかもしれない」という不安感に、かき消されてしまったのである。
2003年には、借金の返済などにあてるために、生命保険を解約する市民が増加した。ドイツ保険協会の調べによると、生保会社が2003年に支払った解約払戻金の額は、2002年の92億ユーロ(1兆2420億円)から35%も増えて、124億ユーロ(1兆6740億円)に達している。
生保業界は、「貯蓄型生命保険の途中解約は、損が大きい」と訴える広報活動を強めているが、今年も解約者が増える可能性が強い。
* 深刻化する失業問題
その背景には、景気が思わしくなく、内需が伸びないドイツで、市民の間で雇用に対する不安が高まっているという事情がある。10月には、大手自動車メーカー・オペルの親会社のジェネラル・モータースが、業績不振が続くオペルの従業員数を1万人減らす方針を発表した。
またデパート経営・通信販売大手のカールシュタット・クヴェレが、経営難のために店舗の半分を売却し、従業員の数を5500人削減する計画を明らかにした。今後も人々の失業に対する不安が根強く残ると予想されるため、セールスマンにとっては、生命保険を買う意欲をよみがえらせるのは、容易なことではない。
また2005年1月1日から、貯蓄型生命保険の非課税措置という大きなセールス・ポイントを失う生保業界は、他の投資手段に比べて魅力的な商品の開発を急ぐ必要がある。さもなければ、生命保険を解約して不動産などに資金を移す市民が増えて、生保業界の将来に暗い影を落とす可能性もある。
セールス手帖社FPS保険研究所 2004年12月号