2000年8月4日       保険毎日新聞掲載

服従の代償

チャップリンの映画の中に「人を一人殺せば犯罪者だが、沢山の人を殺せば英雄になれる」という警句が出てくる。戦争の愚かさを指摘した言葉だが、最近では必ずしもこの言葉通りになるとは限らない。

その一つの例が、今年80才のドイツ人、H・バ−ト氏の体験である。バ−トは、1930年代にヒトラ−が権力を手にした時、ナチスの戦闘部隊である武装親衛隊に加わり、将校になった。彼は1944年にフランスのオラドゥ−ル村で他の武装親衛隊員たちとともに、642人の村民を虐殺し、村を完全に破壊した。

ナチスがフランスで行った虐殺としては最悪のケ−スとして歴史に記録されたこの事件に関連して、バ−トは戦後フランスで開かれた裁判で欠席のまま死刑判決を言い渡されていた。欠席裁判となった理由は、バ−トが虐殺の後西部戦線で、片足を失い片手も不随になる重傷を負い、ドイツに後送されたためである。さて彼の住んでいた町は戦後東独の領土になったが、社会主義政権の司法当局はバ−トの虐殺への関与を突き止め、彼に終身刑の判決を言い渡した。

バ−トは16年間投獄された後、統一後の1997年に釈放される。問題は、年金の給付である。ふつうドイツでは戦争で負傷した軍人には、通常の年金に加えて傷痍年金が支給される。このためバ−トは、初めのうち傷痍年金を受け取っていたが、地方年金局は、彼が殺人の罪で有罪判決を受けていることを理由に、96年に傷痍年金の支給を打ち切った。さらにバ−トをめぐる問題がきっかけとなって、98年には連邦社会給付法に新しい条項が設けられ、「人道や法治主義に反する罪を犯した者」には、傷痍年金の給付を一般的に打ち切ることになった。

このためバ−トは傷痍年金カットを不服とする訴訟をポツダムの裁判所に起こす。裁判所は今年6月に下した判決の中で、バ−ト氏が91年から98年までに受け取った傷痍年金については返還する必要はないものの、地方年金局が98年以降、新しい条項に基づいて傷痍年金の給付を打ち切ったことは、合憲という判断を下した。

つまりドイツの司法は、「仮に命令とはいえ、人道に反する大量虐殺を行った人物には、戦争のために身体障害者となった場合でも、傷痍年金を受け取る資格はない」と断定したわけである。厳しく、重い内容の判決だ。お国のための戦争で片足を失ったのに、上官の命令に服従して虐殺に加わった罰として年金の額まで減らされたわけである。

私たちは戦争中に上官から虐殺を命令された時に、その命令を拒否できるだろうか。命令が道徳に反しているかどうかは、私たち個人一人一人が判断しなくてはならない。「上官や上司がやれといったから」という言い逃れは通用しないのだ。(熊谷 徹・ミュンヘン在住)