やって来た遺伝子組み替え農産物

 今年2月11日に、ドイツ政府は我々の食生活に大きな影響を与える決定を行った。この国では、いわゆる遺伝子組み替え(GM)農産物の栽培が、これまで研究目的に限られていたが、政府は初めてGM農産物の商業目的で栽培することを可能にするための、具体的な規則について閣議決定を行ったのである。これは、EU(欧州連合)のGM農産物の通常栽培に関する指令を国内法に変更するものだが、これまでGM農産物に慎重な姿勢を取ってきたドイツ政府が、初めてこの種の作物を商業用に栽培することを認める法律として、この国の農業史上で一つの区切りとなる重要な決定である。

* 農民に表示を義務づけ

 キューナスト農業大臣の提案に基づき、閣議決定された遺伝子技術法の改正案によると、GM農産物を栽培する農民は、その種の作物が植えられた耕地であることを、標識などによって細かく表示することを義務付けられる。また、GM農産物が栽培されている耕地と、通常の農産物が植えられている耕地の間には、最低限の距離を取らなくてならない。

最低限の間隔を取ることを義務づけられる理由は、ヨーロッパでは、米国と異なり市民のGM農産物に対する警戒心がまだ強いことである。キューナスト農業大臣が発表した案では、GM農産物の花粉が隣接する畑に混ざって、それ以外の農産物が売れなくなった場合に、GM農産物を栽培する農民が損害賠償責任を負うと定めている。

* 厳格責任の法理を適用

今回の閣議決定の中で注目を集めたのは、ドイツ政府がGM農産物を栽培する農民に対して、厳しい損害賠償規定を採用したことである。つまり、法律に従ってGM農産物を栽培していたにもかかわらず、周辺の耕地の作物を汚染して、GM農産物でない作物が売れなくなった場合、GM農産物を栽培している農民には、過失のあるなしにかかわらず、損害賠償が生じるのだ。過失の有無に問わず責任が生じる制度は、厳格責任の法理と呼ばれ、製造物に関する事故に基づく賠償責任(PL)や,環境汚染をめぐる賠償責任について、すでに採用されている。厳格責任が採用されたことには、連立政権の一党である、緑の党のGM農産物に対する批判的な姿勢が反映している。ドイツ農業従事者連合は、「この種の作物を栽培するリスクは数量化できないほど大きくなるため、ドイツの農民にはGM農産物の栽培は勧められない」として、厳格責任が適用されたことに批判的な立場を見せている。

* 急拡大するGM市場

これまでドイツには実験用にGM農産物を栽培する耕地が148ヶ所しかなかったが、世界中でGM農産物の耕地面積は、2002年に15%拡大して、6800万平方メートルに達している。米国ではすでにトウモロコシ、大豆、綿花の種の50%がGM農作物である。EUおよびドイツ政府も、こうした世界の趨勢には対抗できないと見て、GM農作物を徐々に認める方向に動いているのである。

* 食品にも表示義務

今年四月からは、EUの新指令に基づき、遺伝子組み替え処理を受けたトマト、トウモロコシ、じゃがいもでも、「GM農産物」という表示をすれば、スーパーなどの店頭で売ることができるようになる。その他、GM処理を受けたカビを使ったチーズ、GM処理を受けた酵母を使ったビール、GM処理を受けた乳酸菌を使ったサラミソーセージ、GM農産物を使ったコーンフレーク、ケチャップ、ポテトチップ、砂糖、サラダ油、マーガリンなどにも、「GM農産物を使用している」という表示をすることが義務づけられる。この表示を怠った販売業者は罰金を課される恐れがあり、ドイツ政府はこの措置によって消費者は、食品にGM技術が使われているかどうかを、店頭ではっきり知ることができると主張している。

もっとも、多くの消費者は気づいていないが、我々はすでにGM農作物を間接的に食べている。EUでは1998年から遺伝子組み替え処理を受けた、何十万トンもの大豆、トウモロコシなどの輸入を認めており、これらのGM農産物は家畜の飼料や、食品への添加物として使用されているからだ。つまり間接的にGM農産物が使われている食品には、これまで表示義務がなかったし、今後もGM飼料を食べて育った家畜の肉や、卵、乳製品にも、「GM農産物使用」という表示はされないことになる。

* 非GM農産物に人気集中か

市民の環境意識が強いドイツでは、GM農産物に対する不安が強い。ある大手食品メーカーは、GM農産物が添加されている菓子を販売したところ、売上高が大きく減ったため、回収に踏み切ったことがある。環境保護団体グリーンピースは、「政府は法律によって、GM農産物を望まない農民と市民を保護する姿勢を強めるべきだ」と主張している。またドイツの消費者保護団体も、「GM農産物を栽培していない農民にとって、裁判所で自分の作物にGM農産物の花粉が混ざったことを、法廷で証明しなくてはならないというのは、大きな負担だ」とドイツ政府の提案を批判している。その意味で今後は、「GM農産物を一切使っていない」エコ農産物に消費者の人気が集まり、新しいビジネスチャンスを生む可能性もある。実際にバイエルン州やベルリン周辺には、農民たちが「この地域では一切GM農産物を栽培しない」と宣言するケースが報告されている。

* 「夢の農作物」

GM農産物は、農業の工業化が可能にした「夢の発明」である。遺伝子を操作することによって、疫病や害虫などに襲われても枯れないようにしたり、トマトなどがこれまで以上に長持ちしたりする。たとえば害虫に強いGM農産物は、特定の害虫に対してだけ作用する毒素を持つようになるので、人体に有害な殺虫剤などを使わないでも済むようになるかもしれない。疫病や害虫に悩まされるアフリカ諸国の農民にとっては、GM農産物は外国への輸出を増やすきっかけになるかもしれない。またGM農産物が人体に悪影響を与えるという知見は、全く報告されていない。

* リスク社会の象徴?

しかしGM農産物が食卓に上り始めてからまだ数年間しか経っていない現在の時点では、この種の農産物が人体や環境にどのような影響を及ぼすかは、全く判断することができない。携帯電話が人体に悪影響を及ぼすかどうかという論争にすら、結論は出ていない。何十年もの間建築材料として使われていた石綿(アスベスト)に強い発ガン性があることがわかったのも、比較的最近のことである。航空機は便利な交通手段だが、一度墜落すれば何百人もの人が一瞬の内に犠牲になる。我々は科学や技術の進歩によって、市民は発明の恩恵を享受できるが、その裏に危険がひそんでいるか、もしくは安全なのかを、見通すことができないという複雑な「リスク社会」に生きているのである。人間の身体に摂取されるGM農産物はリスク社会を象徴する発明であり、その扱いをめぐっては今後も激しい論争が行われるに違いない。我々市民にとっては、とりあえずアンテナを広く張りめぐらして、GM農産物について最新の情報をつかむように努力することが最も重要と言えるだろう。

週刊 ドイツニュースダイジェスト 2004年4月2日