アイセック物語(1)

1980年7月、私は生まれて初めて飛行機に乗って、ドイツのフランクフルト空港に降り立った。

当時は冷戦が続いておりシベリア上空を飛ぶことができなかったので、私の便はシンガポール、ドバイ、ローマなど各地を経由する「各駅停車」。

20時間の飛行による疲れと時差ぼけで私はヘトヘトだったが、初めて見る外国に胸は高鳴っていた。

この旅行は単なる観光ではなかった。

私は世界最大の学生組織であるAIESEC(アイセック=経済学、経営学を専攻する学生の国際機関)が主催する経済学と語学の試験を受けて、ドイツ企業で研修生としてアルバイトをするために、この国へやって来たのである。

1948年にパリの創設されたこの組織は、経済学か経営学を勉強している学生に、外国企業で数ヶ月ないし1年間にわたり、研修生として働く機会を与え、国際交流を促進することを活動の目的としている。

現在でも世界の80カ国に支部を持ち、日本でもいくつかの大学にアイセックの支部がある。

私は西ドイツのルール工業地帯にある、オーバーハウゼンという町のドイツ銀行の支店で働くことになった。

フランクフルトから電車で北へ3時間あまり。ライン川の美しい景色や、ケルンの大聖堂の巨大さに圧倒されている内に、列車はデュイスブルクという町に着く。

重いトランクをプラットホームに引きずりおろすと、長髪でひげを生やしたドイツ人の学生が、「君は日本から来たトオルか?」と声をかけてきた。

アイセックの支部の学生が、おんぼろのベンツで迎えに来てくれたのである。

ドイツでは学生でもベンツに乗るのだなあと感心した。

初めての外国旅行で右も左もわからなかった私が、出迎えの人にぶじ会うことができて、どれだけ安心したかは、とても説明できない。

アイセックのサービスは至れり尽くせりだった。

彼は、私をデュイスブルクの学生寮に連れて行き、休暇のために学生がいない部屋に泊まらせてくれた。

学生寮は殺風景だが、機能的で清潔である。

バスルームは、2つの部屋の共用で、1人が使っている時には、反対側のドアの錠を中から閉める。

台所、食器、冷蔵庫も共同で使う。

毎週木曜日の夜には、寮生全員が参加する飲み会がある。

私は学生に感謝の言葉を言うと、泥のように眠りこけた。

だがドイツに着いたのは土曜日で、当時すべての商店は、閉店法という法律により、土曜日の正午でしまってしまい、翌日私が空腹を抱えながら起きてみると、パンやバターはおろか水も買えない。

ろくな食堂もない。

ドイツ最初の外食は、駅の近くのファーストフード店で食べた、ソーセージと油でドロドロになった揚げポテトだった。

あまりの脂っこさに気分が悪くなり、「ああ、これがドイツ料理なのか」とため息をついた記憶がある。(続く)

(文と絵・ミュンヘン在住 熊谷 徹)

2006年2月 保険毎日新聞