アイセック物語(3)

観光旅行ではなく、企業で研修生として働くことによって、外国を知る機会を経済学・経営学を勉強する若者に与える国際学生機関アイセックは、グローバル時代に必要な人材を育成するために、重要な組織である。

20歳になる前に外国文化に触れ、価値観や哲学が異なる世界に身をおいて、葛藤することは、その人の一生に大きな影響を及ぼすだろう。

若い頃に外国で暮らすことは、異文化への寛容さや、異郷での適応能力を高めることにもなる。

日本は島国なので、この国に住んでいると、異なる文化に接する機会は少ない。

海の向こう側に、日本の考え方が全く通用しない世界が広がっていることを、学生として頭がやわらかい間に経験することは、国境の意味がどんどん小さくなっている時代には、とても大切である。

外国で博物館を見たり、名所旧跡を訪れたりすることも重要だが、それだけでは、日本人以外の人々が何を考えているのかを理解することは、むずかしい。

また外国で暮らすと、日本という国を客観的に考えることが可能になるので、自分の国を理解する上でも助けになる。

異文化の中に住んでいると、「日本的なるもの」に対する感覚が研ぎ澄まされるからだ。ゲーテが自国の文化を理解するには、外国語を学ぶことが重要だと指摘しているのは、そのためである。

外国企業で働く場合には、その国の言葉を使うことを余儀なくされるので、外国語の能力は否が応でも高まる。

外国語習得の近道は、その言葉を使うことを強制されるような状況に自分を追い込むことだ。

1980年には、携帯電話がなかっただけではなく、ドイツの公衆電話から日本に電話することはできなかった。

このため、私はドイツで働いたり旅行したりしている3ヶ月の間、ひとことも日本語を話さなかった。

私のように帰国子女ではない人間は、そうした状況に自分を追い込まないと、言葉の感覚が、自分の血液の中に溶け込んでこないのである。

また、アイセックの研修ではわずかながら給料もくれるので、外国で旅をする時の、旅費のたしにもなる。

私もドイツ銀行で働いて受け取った給料で、ドイツからパリ、フィンランドまで列車とフェリーで旅行した。

日本が外国から必死でなにかを学ぼうとしていた1970年代、1980年代に比べると、特に若者の間で、外国に対する関心が低くなっている印象を受ける。

もちろん日本の伝統文化を重視することは重要なのだが、世界が広いことを忘れるべきではない。

その意味で、経済学や経営学を専攻している学生には、アイセックを使って世界をどんどん見てきてほしいと切に願っている。(アイセック物語・完)

(文と絵・ミュンヘン在住 熊谷 徹)

2006年2月 保険毎日新聞