運命のアルバム
私は去年9月にテルアビブのユダヤ人虐殺に関する博物館ヤド・バシェムで、ガラスの展示ケースの中に置かれた、一冊のアルバムを見た。
古ぼけたアルバムには、1944年5月にアウシュビッツ強制収容所に列車で送り込まれ、ナチスに「選別」されてガス室へ向かって歩かされるユダヤ人の母子など、有名な写真が貼られている。
これはナチス親衛隊員が、アウシュビッツを個人的に記録するために撮影した写真のアルバムである。
彼らがドイツ人的な几帳面さで、ユダヤ人の到着、選別、荷物の没収などの様子を細かく撮影し、写真をこのアルバムに保存していたため、後生の我々は、史上まれにみる恐るべき大量虐殺の前段階の様子を、まのあたりにすることになった。
その意味で、このアルバムは極めて貴重な映像資料なのである。
「事実は小説より奇なり」というが、このアルバムが発見された経緯は、不思議な運命の糸を感じさせる。アルバムを見つけたのは、ハンガリーのビルケという村に住んでいたリリー・ヤーコブさんというユダヤ人女性である。
1944年の5月に、ヤーコブさん(当時18歳)は、他のユダヤ人とともにアウシュビッツ強制収容所に送られる。
彼女の両親と3人の兄弟は全員殺されたが、ヤーコブさんだけは後に別の被服工場や弾薬工場での労働に回されたため、アウシュビッツのガス室での死は免れた。
1945年の彼女は、ドイツ国内のドーラ強制収容所で終戦を迎える。
病気にかかっていたヤーコブさんは、「米軍が収容所を解放した」という報せを聞いて、病棟から外に出た所で気を失った。
彼女は他の収容者たちに助けられて、親衛隊が使っていた兵舎に寝かされる。そこでヤーコブさんは、ドイツ軍が残していった私物の中に、アウシュビッツ収容所の様子を撮影したアルバムを見つけた。
彼女はページをめくる内に、アルバムの中に、ビルケ村の友人や知人、自分の家族だけでなく、自分自身の姿が映っているのを見て、愕然とした。
このアルバムには、偶然にもヤーコブさんの一家がアウシュビッツに到着した、1944年5月26日朝の模様が撮影されていたのである。
歴史家の研究によって、このアルバムは親衛隊員が戦友に贈ったものであることがわかっている。
このアルバムの写真は、ドイツのほとんどの歴史教科書に掲載されている。それにしても、ナチスによる犯罪を記録した最も貴重な映像資料の一つが、アルバムの中に映っていた被害者自身によって、アウシュビッツから遠く離れたドイツの兵舎で見つかったことには、不思議な因縁を感じる。
ガス室で非業の死を遂げた何百万人という人々の、後生にこの犯罪を知らせなくてはならないという願いが、ヤーコブさんをこの写真帖に導いたのだろうか。
私はガラスケースの中のアルバムを前にして、運命の不思議さに思いを馳せざるにはいられなかった。
(文と絵・熊谷 徹 ミュンヘン在住)
保険毎日新聞 2006年3月