ギリシャの神々は極彩色だった
ミュンヘンの考古学美術館の資料は、ヨーロッパの中でもおそらく最も充実している。知人の考古学者によると“発掘調査をするための遺跡では、イタリアやギリシャに勝る所はないが、ドイツの資料はまるでブルドーザーで調べたみたいに万遍なく揃っている”ということだ。
ヨーロッパ人にとって、考古学は学問の中でも最も“ロマンがある”分野。一九世紀にはアマチュア考古学者、シュリーマンやイギリスのエヴァンズやエルギン卿など、私財をなげうって生涯を考古学に捧げた研究家もいた。長い人類の歴史を考えると、一人の研究者が生涯成し得ることはほんの歯車の一つにすぎないが、長年の積み重ねで思わぬ発見があることもある。
ミュンヘンの考古学者、ブリンクマン教授はもう二十年以上、ギリシャ彫刻の“失われた模様や色”を追い求めている。その成果は今年、開催されている“極彩色の神々”で披露された。ギリシャの彫刻は二千年前にはすべて鮮やかな色で覆われていたという。
“え?ギリシャ彫刻は白いはずでは”と思いがち。現に博物館の彫刻はすべて白い。しかし、元の彫刻はすべて鮮やかな色彩で塗られていた。このことは考古学の世界では常識だそうだ。二千年のうちに色があせてしまっただけで、一九世紀終りから二十世紀にかけてドイツは“ギリシャ彫刻の色彩再現学”のメッカだったそうだ。
教授は「すでに二世紀ほどかけて発展してきたポリクロミー学(色彩再現学)は科学の進歩で大飛躍を遂げました」という。彫刻の表面にわずかに付着している色素をたよりに赤外線による反射、化学的な分析、紫外線照射による蛍光の発光観察などの最新技術を駆使し、幾何学模様などを、かなりの正確度で再現することが可能になった。二十世紀はじめ頃は、ギリシャ時代の出土品である甕や瓶などの模様の色から“想像や連想”で色を再現してみたという、きわめてあいまいな学問であったことを考えると、科学技術の発展は考古学にも新しい光をもたらしたことになる。
色彩再現学は二度の世界大戦で中断され、以後はそれほど盛んではなかった。なぜ中断したまま長いあいだ忘れられていたのだろうか。
「知識人はあることを信じ込むと心を閉ざし、自分の世界に閉じこもりがちになる」とブリンクマン教授は言う。戦後は学界までもが“ギリシャ彫刻は白いもの”と、興味を示さなかったためだというのだ。
“ギリシャ彫刻は白い!”と信じた人の中に、英国の大英博物館の館員たちがいた。“エルギン・マーブル”は“ギリシャ彫刻はもっと白くあるべき”という当時の方針でとりかえしのつかないほど、むやみに白く磨かれてしまった。このためわずかに残っていた色がそぎおとされてしまい、元の色をたどることは不可能となった。数千年前からの芸術品に修復不可能な損害が生じてしまったことになる。
(文・福田直子、絵・熊谷 徹)