東西パン屋さん訪問記 ()  西ベルリンの老舗

早朝の西ベルリン。「ヨハン・マイヤー」のパン配達は四時前からはじまっていた。あたりは真っ暗で、住宅街の真中にあるこのパン屋さん以外に灯りが燈っている窓はない。戸を開けるとプーンと香ばしいパンのかおり。

中ではすでにパン職人たち、五、六人が忙しそうに働いている。私語もほとんど交わさず、黙々とパンを作っている。すでに店先では、仕事が一段落した道路清掃人たちが朝食をとりに来ていた。店主クルト・ベルリングさんは、老舗パン屋さんの三代目。1902年に祖父がはじめたパン屋さんだ。

「昔に比べると、重労働ではなくなった」とベルリングさん。小麦粉の重い袋を運ぶこともなくなり、パン焼きの工程は機械化でかなり楽になったという。ベルリングさんは毎朝二時に起き、週7日働く。これが重労働でなくて何であろうか。日本人のモーレツサラリーマン以上かもしれない。「働きバチの父が急に引退したらばったり倒れてしまうのではないでしょうか」と息子のカールステンさん(29才)。幼い頃から父親の勤勉な姿を見てきた彼は、三才の時に「大きくなったらパン屋さんになりたい」と言って親を喜ばせた。

パン屋がある西ベルリンのシェーネベルク地区には19万人の市民が住むが、パンをこねて、自分のかまどで焼くパン屋さんは激減し、現在、四軒しかない。工場で大量生産して冷凍にしたパン生地を店に配達するチェーンがここ数年で急増したからだ。ドイツ全国で見ても1994年に2万5千軒あったパン屋さんは、十年後、八千軒も減ってしまった。「工場製のパン」に押されて次々と店をたたんでいるからだ。

 それでもベルリング家は「ひいきのお客さんは、手作りパン職人の味をわかってくれる」とがんばる。家族経営のパン屋では、人件費が余計にかかるため、最低限の数を日々生産しなければならない。このパン屋さんでも毎日2500個、43種類ものパンを焼いている。

左右の手でパンを同時にこねて、切り目を入れている姿には恐れ入った。「パンのイベント」も企画し、新しい種類のパンの試作もしなければならない。「毎日、最低六時間は寝るようにしています」とベルリングさん。父と子は年に一回、パン屋経営について話し合うための旅に出るという。

(文・福田直子 絵・熊谷 徹 ホームページ・http//www.tkumagai.de