ブルガリア紀行 第1回 懐かしい風景
19世紀、ドイツのビスマルク宰相は、ブルガリア人のことをバルカン半島のプロイセン人と呼んだ。
それは、ブルガリア人が時間に正確、実直で働き者であることに、ビスマルクが感激したためらしい。
5月下旬、ミュンヘンの記者クラブの研修旅行で、ブルガリアを首都ソフィアから黒海まで横断した。
行きは南を通り、10世紀のリラ修道院、第二の都市プロヴデイフ、黒海に浮かぶネセバー半島。北に上り、第三の都市ヴァルナ、琴欧州の出身地であるヴェリコ・タルノヴォ、元共産党書記長の別荘がある小さなアルバナシの町をへて、バルカン山脈を眺めながらソフィアに戻ってきた。
往復全行程1500キロ、しかも高速道路がほとんどないこの国を一週間で見ることは、結構しんどかったが、久しぶりに「懐かしい風景」に出会った。
共産圏が崩壊して以来、ブルガリアは東欧諸国の中で一番民主化、市場経済へのスムーズな移行が遅れている。
尾篭(びろう)な話ながら、トイレは日本の高度成長期以前のような状態のものが多く、同行したドイツ人は辟易していた。バルカン半島のプロイセンは、まだまだこれから復興しなければならない。
かつてソ連の一番の同胞であったブルガリアでは、95年に銀行が破綻。500%に達した超インフレで、わずか一日のうちに月給分の額のお金が、パンを買うくらいの価値になったというからすさまじい
。一生かけてためた貯金をなくした人も多く、銀行への不信から今も国民の37%しか銀行口座を持っていない。
ようやく財政改革に手をつけたブルガリアは、97年に経済好転のきっかけをつかみ、ちょっとした投資ブームになっている。
途中、よく馬車が走っているのをみかけた。
この国の平均月給は現在、170ユーロ(約2万5千円)。車を買うことができない人は、ろばや馬を買う。
ろばの値段は約300ユーロ(約4万2千円)と割安だ。高速道路の入り口には、「馬車で入ってはいけない」という標識があり、ほほえましかった。
共産主義政権崩壊後は、120万人が職を失い、今も24才以下の若者の失業率は24%という。
国内の生活にみきりをつけて海外へ移住してしまう人が後をたたず、1989年まで800万人であった人口は、720万人に減ってしまった。
最低年金は現地通貨で63レバ(約4200円)というから、物価が年々上昇する国での高齢者の生活も厳しい。(続く)
(文・福田直子、絵・熊谷 徹 保険毎日新聞 2006年6月)