ブルガリア紀行(6)丘の上の館

ブルガリア第3の都市、ヴァルナに住むKさんは今年、59才になる。

そろそろ引退して年金生活に入ってもいい頃だ。

しかし、現在の最低年金が、わずか63レバ(約4200円)では、いくら物価が西側諸国よりも安いといっても、当分、働き続けなければならない。

「社会主義時代は、医療、住宅、そして仕事に恵まれていました。今もお金はあまりないけれど、とりあえず食べていくには困らないので幸福といえるでしょう」

社会主義時代には、国営企業の技術翻訳者として、東ドイツによく出張していたKさん。

彼女は社会主義下で前半生を過ごしたためか、言葉を選ぶのも慎重で、なかなか本心を語りたがらない。

共産圏が崩壊して、夫も自分も職を失った。

大学生であった次女は、大学を中退してもよいと言っていたが、思いとどまらせ、母親の自分が不法労働者として、ドイツのケルンで、清掃や子守りをしてなんとか一家を支えてきた。

かつてブルガリアはソ連共産主義の最も忠実な「アコライト(見習い僧)」と呼ばれただけあって、ブルガリア共産党第一書記トドール・ジフコフは、モスクワの命令とあればすぐさま応じた。

ブルガリアでは、国民の大半が東方正教を信じ、文字もキリル文字を使っていることもあって、ロシアに対する親近感も強かった。

しかし、ゆるぎない権力の座にあったはずの共産主義があっさり崩壊したのだから、おごれる者は久しからず。ジフコフは1998年、86才で世を去った。

「ジフコフの埋葬には、国民の多くが参列した」とKさん。

国民の指導者に対する憎悪がひときわ激しかった隣国ルーマニアで、チャウシェスク元大統領が、革命で直ちに処刑されたのとは大きな違いである。

50年近く続いた共産主義の時代は、今もあちこちに余韻を残している。

ジフコフは、カロヤン・ステファノ・マハリャノフこと、相撲の力士琴欧州が生まれたヴェリコ・タルノヴォの街に近い、アルバナシという小さな村に巨大な別荘を持っていた。

風光明媚な丘にそびえる建物の前には、ブルガリア国旗と並び、今では
EUの旗が大きくはためいている。

別荘は5つ星の高級ホテルに転用されている。

真っ白な外観は南欧の御殿のようで、内装は共産主義時代の趣きが残る、重厚な造りであった。

受付の女性には、着ていた洋服や物腰から、共産主義時代の雰囲気を漂わせているように思えた。(続く)

(文・福田直子、絵・熊谷 徹)保険毎日新聞 2006年7月