トルコ紀行(6)ローマ帝国と水

イスタンブールの旧市街、聖ソフィア聖堂のやや西側に、あまり目立たない地味な建物がある。

この建物に入って階段を降りていくと、信じられないような光景が広がる。地下に壮大な貯水池が広がり、古代ローマ風の柱が林立しているのだ。貯水池の大きさは9800平方メートル。

高さ9メートルの柱がずらりと並び、アーチのようになった天井を支えている。336本の円柱が淡い照明の中に浮かび上がる様子は、あたかも古代の宮殿が地下に埋没したかのようだ。

この地下貯水池は、ローマ帝国(ビザンチン帝国)のユスティニアヌス皇帝が6世紀に建設したもので、10万トンの水を貯めることができた。

15世紀にコンスタンティノープル(イスタンブールの旧名)を征服したオスマン・トルコも、一時この貯水池の水をトプカプ宮殿にひいて使っていた。

この貯水池は長い間忘れられていたが、16世紀にこの町を訪れたフランスの考古学者が、住民が地下にバケツを降ろして水を汲んだり、船を浮かべて魚を取ったりしていると聞いて、偶然貯水池を発見した。

貯水池の奥の方にある2本の柱の土台には、ギリシャ神話に登場する魔女メデューサの顔が掘られた大理石が使われている。メデューサは髪の毛が蛇になっており、この魔女を見た者は石に変えられてしまう。

これは貯水池の中で唯一彫刻が残っている部分だ。

なぜここにメデューサの彫刻がある石が使われているのかは不明だが、古代ローマ時代に他の建築物に使われていた石材が、貯水池建設のために再利用されたという見方が有力だ。

興味深いことに1個のメデューサの顔は逆さまに、もう1個は横になっている。当時の石工たちはメデューサの呪いを避けるために、顔をまっすぐに立てなかったのかもしれない。

夏の暑さが厳しいこの地域では、水の確保は重要な問題である。イスタンブールの旧市街には、ビザンチン帝国のヴァレンス皇帝が378年に完成させた水道橋が残っている。スペインやフランスなど、地中海沿岸に今も残っている古代の水道橋と同じ様式だ。

イスタンブールは丘が多い町である。この水道橋は、地面の高低の違いだけを利用して郊外から町の中心部へ水を送っていた。原動機を使ったポンプがなかった時代にも、ローマ帝国の技師たちは水を大都市に供給する方法を知っていた。

彼らの技術水準の高さには、驚くほかない。イスタンブールはこのように1500年前へのタイム・トラベルを可能にしてくれる町なのである。(続く)

(文と絵・ミュンヘン在住 熊谷 徹)