ドイツ人の批判精神
私は16年もドイツに住んでいるために、この国の人々の気質がどういうものかは、ある程度理解できるようになった。
特に強く感じるのは、彼らは何かにつけ文句を言ったり、批判したりする傾向があるということだ。
つまり、物事を肯定的にとらえないで、難癖をつける人が圧倒的に多い。
先日あるドイツ人が、こんなたとえ話をした。
コップに水が半分入っているとする。
ドイツ人ならば、「コップの半分が水で満たされている」とは絶対に言わない。
彼らは必ず、「コップの半分が、空じゃないか」と文句を言う。
日本人は、話し相手との調和や合意を求め、前向きに考えようとする民族なので、「コップの半分が水で満たされているのだから、まあ良いじゃないですか」と言うのではないか。
そのドイツ人によると、彼らは子どもの時からそのように教育される。
親が「X Xちゃん、よくできたわね」とほめることは少なく、むしろ「ここが足りない、あそこがまだ良くない、ここをこう直せ」と欠点を並べることが多い。
小学校から、高校、大学へ行ってもそうだし、企業に入ってからも批判的な環境に生き続けなくてはならない。
それとドイツ人の得意なことは、いらいらして不満を言ったり、悪いことが起こると、他の人に責任をおしつけたり、その人に向かって悪態をついたりすることである。
今日もミュンヘンの地下鉄駅で「電車が10分遅れます」というアナウンスが流れると、「なんてこった、とても信じられない!」と身なりの良い紳士が、一人で悪態をついていた。
我々日本人は、とかく争いごとを避けようとする傾向があるが、ドイツ人は意見の対立は当たり前と思っているし、激論、論争も平然として行う。
幼い時から批判されることに慣れているので、反論の仕方もきちんと身につけているのだろう。
ディスカッションは感心するほどうまい。
日本のテレビや新聞、雑誌には「座談会」という形式があり、参加者はお互いの立場を尊重し、あまり意見が鋭く対立しない場合が多いが、ドイツではほとんど喧嘩腰の討論会がよくテレビで放映されている。
出席者は全体の調和など気にせず、批判精神の刃で丁々発止と渡り合う。
そこで重要なことは、相手の感情ではなく、理路整然とした答えになっているかどうかである。
この国では論理的であることが、人情よりも重視されることが多い。
私も外国暮らしがずいぶん長くなったが、相手の難癖を探す傾向が強いドイツ人の性格は、吸収しないようにしたいと思っている。
(文と絵・熊谷 徹 ミュンヘン在住)
保険毎日新聞 2006年3月