トルコ紀行(2)聖ソフィアの威容

イスタンブール2000年の歴史を最も端的に象徴しているのは、聖ソフィア大聖堂である。

この聖堂を訪れる者は、その巨大さに圧倒される。内部の丸屋根の高さは56メートル、直径は31メートルに及ぶ。

内部の総面積は7570平方メートルに達する。

この場所に聖堂が最初に作られたのは西暦360年。暴動や地震で何度か破壊されたものの、現在の建物は570年に再建された時の姿をほぼ完全にとどめている。

ローマのサンピエトロ教会に匹敵する、世界最大の教会建築の一つである。

さらにユニークなのは、過去1440年間にこの聖堂が経てきた歴史だ。

ローマのコンスタンチヌス皇帝は、330年に帝国の首都をローマからコンスタンチノープル(イスタンブールの旧名)に移した。

この帝国はビザンチン帝国、または東ローマ帝国と呼ばれることもあるが、実態としてはローマ帝国が遷都したのである。

ローマ皇帝が建設させたこの聖堂にはキリスト教会の東西分裂後、ギリシャ正教会の総主教座が置かれる。

1440年間という気の遠くなるような歳月を経ても、この建物がびくともせずにそびえている背景には、パンテオンやコロシアムを建設したローマ帝国の高い建築技術があった。

だが1453年にコンスタンチノープルはオスマン・トルコ帝国の攻撃の前に陥落し、聖ソフィアはメフメット2世によりイスラム寺院(モスク)に改造される。聖堂の周囲に4本の尖塔(ミナレット)が立っているのはそのためである。イスラム教の聖地メッカの方向を示す窪み(ミフラブ)聖堂の壁に加えられ、アラビア語の文章をつづったタイルがあちこちに貼られている。

ギリシャ正教会の総本山をモスクに変えたことは、オスマン・トルコにとって西洋文明に対する勝利を何よりも象徴する行為だった。

この建物は20世紀にトルコ政府が政教分離に踏み切ってからは、モスクとしては使用されておらず博物館になっているが、現在もアラーや預言者ムハンマドの名前をアラビア語で書いた大きな円板が壁にかけられている。

広大な堂内に立つと、ギリシャ語でキリストを称える賛美歌が響き渡っていた時代、そして何百人ものイスラム教徒が教主の祈りの声に合わせて、絨毯の上で身体を折り曲げ、アラーを礼拝していた時代がよみがえってくる。

時代とともに変遷してきた聖ソフィアは、イスタンブールの歴史そのものといっても過言ではない。(続く)

(文と絵・ミュンヘン在住 熊谷 徹)