よみがえった高級保養地ハイリゲン・ダム
旧東ドイツ、波の荒いバルト海に面したメクレンブルグ・フォアポンメルン州の一角。
港町ロストク市から、西に向かって海岸を進んでいくと、忽然(こつぜん)と四階建ての豪壮な洋館が姿を現す。白亜の壁が、朝日を浴びてオレンジ色に輝いている。
この建物の南隣には、正面に円柱を並べ、ギリシャの建築様式を取り入れた宮殿が、そびえている。
やはり純白の破風には、ラテン語で「ここでは歓びが君を待っている。保養地を去る時には、健康な身体になり給え」という言葉が書かれている。
1793年にドイツで初めて設立された、海沿いの保養地、ハイリゲン・ダムである。
フリードリヒ・フランツ1世という公爵が、当時のドイツで一級の建築家だったセヴェリーンやデンムラーらに造らせた保養ホテルは、古典主義の雰囲気を漂わせる、ドイツ的なボリュームを持っている。
19世紀には、ベルリンなどから上流階級に属する人々が、休暇を過ごすために足しげく訪れるようになった。
ナチス台頭後は、ヒトラーがムッソリーニとともに、ハイリゲン・ダムを訪れたほか、党の幹部らが海岸沿いの建物を保養施設として利用した。
戦後東ドイツを支配した社会主義政権は、この施設を富裕層ではなく労働者の保養所として開放し、ザクセン州の鉱山で健康を害した炭鉱夫らがここで静養している。
しかし、資材不足に悩んだ東ドイツでは、潮風にさらされる洋館を修復することができず、建物の偉容は失われていった。
ドイツ統一後、ハイリゲン・ダムに大きな転機が訪れる。ケルンの不動産開発グループが、2億3200万ユーロ(313億2000万円)を投じてこの保養施設ごと500ヘクタールの土地を買い取り、富裕層のためのリゾート地としての再開発事業を開始したのである。
高級ホテルグループ・ケンピンスキー社が昨年開いたグランド・ホテルには、ドイツ全土から裕福な人々が訪れ、クリスマス休暇には満員になる。
正面玄関の前には、ポルシェ、ベンツ、ジャガー、BMWがずらりと並ぶ。
五つ星ホテルに生まれ変わった保養施設は、所得が低い旧東ドイツの市民には、手の届かぬ高嶺の花となった。
車道を隔てた歩道から、古びたジャンパーを着た、初老の旧東ドイツ人が、ホテルをじっと眺めている。
統一の皺寄せで、今なお失業率が20%を超えるメクレンブルグ・フォアポンメルン州の田園地帯に、富裕階級だけが泊まれる白亜の殿堂がそびえたち、着飾った男女がワイングラスを傾ける。
ドイツ統一が「資本主義の勝利」だったことを、象徴する光景である。
社会主義時代にここで静養した炭鉱夫が今日のハイリゲン・ダムを見たら、どのような想いがその胸に去来するだろうか。
(文と絵・熊谷 徹 ミュンヘン在住)
保険毎日新聞 2004年10月12日