移民だって楽じゃない

夏休みに行ったサルジニア島には、ドイツでは考えられない、エメラルド色の海がある。

しかし、そこにうようよしていたのは“浜辺の商人たち”だった。あるときはマッサージ、あるときはココナッツ売り。

なぜか、マッサージ師はアジア人、果物やアイスクリーム売りは白人、そして、一番多い黒人たちはビーチ用品売りと相場が決まっている。

「いらんかね、いらんかね」と次から次へとやってくる。

少しでも目があうと、さあ大変。ここぞとばかりに売り込み攻勢。

こちらはなにか盗まれるかもしれないなどと気になって、貴重品に思わず手をやり、おちおちくつろげない。

売っているのは偽物のブランドバック、水着や浮き輪、サングラスに時計。

イタリアの太陽のもとで、毎日、これだけ歩いて行商するのも大変だと思うのだが、一体売れるのだろうか。

あるとき、カフェのカウンターで店員と談笑している行商人がいた。

「どこから来たのだ」と聞かれたので、「そういうあなたはどこから?」と聞くと、「セネガルだ」という。

「ふーん、随分、遠くからいらしたのですね」とつたないイタリア語で答えれば、「なにを言うんだ、日本のほうが遠いじゃないか」と真顔でやり返された。「私にだって、誇りはあるのだ」という本音がのぞいたのだった。

 誰にだってよりよい生活を求めて移住する権利がある。おそらく、ヨーロッパへ来さえすれば、生活がよくなると思ったのだろう。 

 ちょうどその頃、アフリカ大陸からシチリア島に不法侵入すべく、小さな船に大勢で乗り合わせてきたところをみつかり、上陸できずに酷暑の中を船の中で生活していた外国人たちが、イタリアで問題になっていた。

こういった船は次から次へとやってくるのだが、彼らは数年間、爪に火を灯すような暮らしを送りながら、一生懸命にお金をため、死にもの狂いでやってくる。

ある人物は、せっかくためた貯金を仲買業者に三回も騙し取られ、船に乗ってきたものの、船内の状態は劣悪で、すし詰めの船よりも、刑務所のほうがはるかに心地よかっただろうと証言している。

 そして夢に見たヨーロッパには、どん底のような仕事しかなく、故郷より狭い部屋でのみじめな生活しかない……。

新天地ですっかり失望して故郷に帰って暮らしている「帰国組」もいるそうだ。

 あのセネガルの青年もイタリアに来て、理想の世界がみつかったのだろうか。イタリアの食事に舌鼓を打てたことだけは確かだろうけれど……。

(文・福田直子、絵・熊谷 徹)

保険毎日新聞 2004年9月29日