イスラエル紀行(7) 銃があふれる日常
イスラエルで過ごした2週間ほど、武器を身の回りで多く見たことはなかった。
最も驚いたのは、嘆きの壁へ行った時のことである。
壁の前の広場に入るには、空港のように金属探知機を通過し、手荷物をX線装置に通さなければならない。
金曜日の日没後に安息日(シャバト)が始まると、写真撮影や携帯電話の使用は禁止される。
ところが、壁の前で踊っている若いイスラエル人の中には、M1型自動小銃をぶら下げている者がいた。
ヨルダン川西岸の入植地から来た、右寄りのイスラエル人であろう。
また広場の後ろの方には、20人の若い兵士が全員M16型小銃を持って地面に座り、リーダーの訓話を聞いている。
銃には、実包が入った弾倉が付けられている。
写真撮影や携帯電話は禁止しても、聖なる祈りの場に、人を殺傷するための道具である、銃の持ち込みが許されるというのは、私には理解できなかった。
嘆きの壁の前でユダヤ人たちが祈る様子を見ていたら、「カシャ−ン」という、実弾を自動小銃の遊底に送り込む、鋭い金属音が鳴り響いて、周囲の人々が一斉にそちらの方を見た。
戦闘服に身を固めたイスラエル人の兵士たちが、アラブ人居住区でのパトロールに出かけるところだった。
彼らは威嚇のために、実弾を銃にこめていることを、周りに示しているのであろう。
翌日、エルサレムの旧市街でユダヤ人地区を散歩していたら、Tシャツやジーンズ姿の若い男女5、6人が、ベンチに腰掛けてミネラルウォーターを飲んでいるのを見かけた。
高校生くらいの年齢だろうか。
ところが、その若者たち全員が、M16型自動小銃を持っているので、私は呆気にとられてしまった。
屈託のない私服姿のティーンエージャーが、弾倉のついた銃を、まるで傘ででもあるかのように、なにげなく持ち歩いているのは、平和に慣れた我々にはやはり異様な光景である。
米国でも多くの人がピストルを持っているが、ここほど大っぴらに持ち歩くことは禁止されている。
イスラエルでは自爆テロを警戒して、ほとんど全てのレストランや喫茶店、商店、ホテルの前には銃を持ったガードマンが立っており、カバンや手提げ袋の中身を点検する。
テルアビブの中華料理屋の前には、短機関銃ウージーを持った警備員が、座っていた。
自爆テロリストが入ってくる可能性がゼロではないと思うと、そこで食べる焼きそばも、ちょっと複雑な味がした。
街角にあふれる自動小銃は、イスラエルが紛争の只中にあることを、改めて痛感させる。
(文と絵・熊谷 徹 ミュンヘン在住)
保険毎日新聞 2004年11月15日