イスラエル紀行(3)聖都エルサレム


テルアビブから車で南西へ一時間も走ると、緑の多い丘陵地帯の中に、エルサレムの家並みが見えてくる。

私はキリスト教徒ではないが、小学生の頃に近所のプロテスタント教会が主催するいわゆる「日曜学校」に通っていた。

ここで新約聖書を詳しく読んだために、受難劇の舞台であるエルサレムへの関心は、非常に高かったのである。

城壁で周りを囲まれた旧市街の東側に、オリーブ山と呼ばれる丘がある。

イエス・キリストは、そのふもとのゲッセマネの園で、自分が翌日処刑されることを悟り、苦悶したと言われる。

「万国民の教会」と呼ばれる聖堂の庭には、樹齢が800年に達するという、太いオリーブの木がある。

この庭がゲッセマネであるという確証はないが、イエスはこの付近でユダの裏切りによって逮捕され、エルサレム城内に引き立てられたのであろう。

死刑判決を受けたイエスは、鞭で打たれた後、重い木の十字架を背負わされて、刑場へ歩かされる。

この時イエスが通った道とされているのが、「ビア・ドロローサ(悲しみの道)」であり、中世からキリスト教徒の巡礼地となっている。

もっとも、考古学者によるとイエスの時代の道路は、今の道路から3メートルも地下にあり、現在の道の上をイエスが歩いたわけではない。

アラブ人の土産物屋が軒をつらねる道路には、「イエスが聖母マリアに出会った場所」、「聖ベロニカがイエスの顔を拭いた場所」など、聖書の言い伝えに基づいたステーションが設けられている。

彼が磔(はりつけ)の刑に処せられたゴルゴダの丘には、聖墳墓教会という古色蒼然とした教会が建てられている。

この中でも、正面入り口から左にある祠は、イエスが埋葬された墓を覆っていると伝えられており、数人しか一度に入れない狭い部屋の前では、キリスト教徒が常に列をなしている。

この教会は、ギリシャ正教、アルメニア教会、ローマカトリック教会、シリア教会、エチオピア・コプト教会の5つの宗派が共同で管理している、いわばキリスト教世界の集合住宅である。

死海文書などによってイエス・キリストが実在したことはわかっているが、聖書の記述には伝承も多い。

したがって、エルサレムのキリスト教関連の聖跡にも、後世の人々が考え出して信仰の対象となっている場所も少なくないはずだ。

それでも、エルサレムの暗い路地をさまよい、オリーブ山の糸杉を眺めると、イエスが生きた時代の雰囲気がひしひしと伝わってくる。

(文と絵・熊谷 徹 ミュンヘン在住)

保険毎日新聞 2004年11月2日