イスラエル紀行(3)   エルサレムと宗教


2005年9月のある金曜日。

テルアビブから車で50分走り、エルサレムの旧市街に着いたのは、昼過ぎだった。

私はアラブ人街の食堂で、羊の焼肉と野菜をはさんだパンを食べていた。

ここにはめったにユダヤ人が来ないので、自爆テロの危険が少ないのである。

ふと目を上げると、アラブ人街の迷路のような細い道を、たくさんのパレスチナ人たちが、南の方向に向けて一心不乱に歩いている。

商店や食堂もみるみる内に空になり、人々の流れは奔流から怒涛のようになっていく。

彼らは、イスラム教徒にとって最も重要な聖地の一つ、岩のドームに向かっているのだ。

エルサレムを空から見ていたら、あらゆる方向から人々が、このモスクに吸い寄せられるようにして、突き進んでいるのが見えたに違いない。

イスラムの教えによれば、このモスクが建てられている場所は、預言者モハメドがメッカから神の助けでエルサレムまで飛行した時に降り立った地点であり、モハメドは後にこの場所から天に駆け上ったと信じられている。

午後1時には、いつも混雑している東エルサレムの路地には、誰もいなくなった。

私は閑散とした路地を、中世以来の市場「スーク・エル・クタニーン(綿商品市場)」へ向かう。

トンネルのようになったこの市場の両側には、雑貨屋、玩具店、紅茶と水パイプを出す喫茶店がひしめきあい、正にアラブの門前町の雰囲気である。

このトンネルの出口は、岩のドームの境内につながっている。

昼も薄暗いトンネルの奥に、黄金色のドームと、青と緑のモザイクの壁を持った寺院が、中東の強い日差しを浴びて、輝いている。

ところが今日は、モスクの入り口ぎりぎりの所まで、イスラム教徒たちがひしめき合い、拡声器から流れる祈りの声に合わせて、メッカの方角に礼拝を行っている。

このモスクの敷地では数万人が礼拝を行うことができると言われる。

人々は膝を折り、額を地面にすりつける。「アラー・アクバル(神は偉大なり)」の言葉が流れると、人々が唱和する声が、まるで地鳴りのように、暗いトンネルに響き渡る。

モスクの境内に通じる入り口には、自動小銃を持ったイスラエル兵が陣取り、イスラム教徒以外は入らせない。

礼拝が終わると、信者たちの群れが、今度は逆の方向に突き進んでいく。

このモスクのすぐ南側には、ユダヤ教徒にとって最も重要な聖地の一つである嘆きの壁があり、金曜日の日没後には何千人ものユダヤ人が集まり、壁に向かって祈りを捧げる。

対立する民族の宗教的情熱が、壁一枚を隔てて、これほど凝縮された形で、煮えたぎっている場所を、私は世界のどこにも知らない。

中東紛争の精神的な原点を理解するには、イスラム教徒とユダヤ教が踵(きびす)を接している、東エルサレムに足を運ぶことが不可欠である。

(文と絵・熊谷 徹 ミュンヘン在住)

保険毎日新聞 2005年10月