米国紀行(5)ユダヤ人たちの足跡

今年は、現在米国である地域に最初のユダヤ人の移民が上陸してから、ちょうど350年目にあたる。

ユダヤ人たちは、中東や欧州で過去2000年間に、繰り返し迫害にさらされてきた。

彼らにとって、異なる民族の共存を建前とする米国は、偏見にさらされることはあるとはいえ、他民族虐殺や追放などにはさらされなかったため、比較的住みやすい地域となった。

ニューヨークのチェルシー地区に近い場所にある「ユダヤ人歴史センター」では、米国でユダヤ人たちがたどってきた足取りについて、学ぶことができる。

米国に最も多くユダヤ人が移民したのは、1870年から1924年にかけてである。

ロシアや中東欧地域でユダヤ人迫害が激化したため、250万人が米国の東海岸に殺到したのである。

この時期、すでにユダヤ系市民の数は400万人にふくれあがり、米国の人口の3・5%を占めるに至った。

19世紀の初めには、20万人のユダヤ人がドイツから移住。

特にニューヨークは、世界で3番目にドイツ語を話す人の数が多い町になった。

特にマンハッタンのイーストサイド南部は、ドイツ移民とドイツ系ユダヤ人が50万人居住していたため、「小さなドイツ」と呼ばれた時期もあった。

さてナチスが1933年にドイツで政権を奪取し、ユダヤ人迫害・殲滅政策を開始したが、米国は欧州からの移民を大量に受け入れる政策を、1924年に取りやめていた。

このため、米国に亡命できたユダヤ人はわずか25万人にとどまり、欧州に住んでいた830万人のユダヤ人の内、72%にあたる600万人が殺害されるという大惨事が起きた。

また、米軍は第二次世界大戦中に、航空写真などでアウシュビッツ強制収容所の存在を知っていたが、ユダヤ人団体の要請にもかかわらず、収容所やユダヤ人を移送する鉄道網を爆撃しなかった。

このことについては、今もユダヤ人たちから米国に対して批判の声が出ている。

そうした点について配慮したのか、米国政府は1993年にワシントンの中心部に、大規模な「ホロコースト(ユダヤ人虐殺)追悼博物館」を開き、無料で市民に開放している。

入り口で訪問者は、実際に迫害されたユダヤ系市民のパスポートに似せた身分証明書を受け取り、その人が死亡したか、生き残ったかについて、博物館の展示によって知ることができる。

この博物館の展示内容は、エルサレムのホロコースト博物館ヤド・ヴァシェムにかなり似ている。

「ナチスドイツは悪の帝国だった」という印象を強く刻み込まれる。

現代のドイツはナチスと一線を画しているとはいえ、ドイツ民族には厳しい内容である。

現在米国には600万人のユダヤ系市民が住んでいる。

この国がイスラエルを世界で最も強く支援する理由も、理解できる。

(文と絵・熊谷 徹 ミュンヘン在住)

保険毎日新聞 2005年10月