ベルリン・ユダヤ博物館 − ユダヤ人はどこへ消えた

かつてベルリンを分割する壁が立っていた、クロイツベルグ地区に、ドイツのユダヤ人の歴史についての博物館がある。

ドイツのユダヤ人を語るには、ナチスによる大虐殺が中心テーマになるのは避けられない。

1933年の国勢調査によると、当時ドイツには50万人のユダヤ人が住んでいたが、その内97%が、ナチスの迫害のために国外へ脱出したり、強制収容所へ送られて殺害されたりして、この国から姿を消した。

1945年のドイツ降伏時にここに残っていたユダヤ人は1万5000人にすぎなかった。

現在この国に住んでいるユダヤ人は、わずか9万人。

少なくとも数の面から言えば、ナチスの「ユダヤ人をドイツから根絶やしにする」という非人道的かつ恐るべき政策は、部分的に実現してしまったのである。

さてこのユダヤ博物館には、古代から中世、現代に至るユダヤ人の歴史が写真、図版や解説などによって展示されているが、特にユニークなのは、訪れた者に「ホロコースト」について考えさせる建築である。

たとえば個々のユダヤ人たちが、迫害によってたどった運命についての展示コーナーでは、建物の床が全て斜めになっている。

この構造によって、訪れる者は、70年前にユダヤ人たちが味わった不安感、まるで足元の地面がなくなってしまうような不安定感を追体験する。

「ホロコーストの塔」と名づけられた部屋の前には、屈強な門番が立っており、暗く湿った、打ち放しのコンクリートの空間に足を踏み入れると、重い鉄の扉が、大きな音をたてて閉じられる。

ドアの閉まる音が、暗い空間に響き渡り、まるで牢獄に閉じ込められたような恐怖感を抱く。

唯一の光は、高さが10メートルはある天井に設けられた隙間から差し込んでくる。

街頭の騒音は伝わってくるが、日常世界に帰ることはできない。

「亡命と移住の庭」と名づけられたテラスには、高さ6メートルのコンクリートの柱が49本立てられている。

49は、ユダヤ人にとって聖なる数字である7かける7であると同時に、イスラエルが独立した年である1948年プラス1をも象徴している。

柱の先端には土が入れられて、オリーブの木が植えられている。

49本の柱は、やはり傾いた地面に立てられている。

柱の間を歩くと、自分が迷路の中にいるような気持ちになる。

これもドイツを去って見知らぬ土地へ行かなくてはならなかったユダヤ人たちの不安感を表現するオブジェである。

このモニュメントの前で、じっと考え込むドイツ人は少なくない。

建物を設計したダニエル・リーベスキントは、同時多発テロで崩壊した世界貿易センターの跡地に新しい建物を設計する建築家でもあるが、ホロコーストとユダヤ人の運命を建築によって表現するという、野心的な試みは、成功したように思われる。

(文と絵・熊谷 徹 ミュンヘン在住)


保険毎日新聞 2004年10月22日