ドイツでも深刻な国語の乱れ

さきごろ本欄で、日本の若者の国語力が低下していると書いたが、私が住んでいるドイツも同じ問題を抱えている。

日本の会話学校で習ったような美しいドイツ語を耳にすることは、まれである。

たとえば、私が日本の高校でドイツ語を始めて習った頃には、副読本に「
Gestatten Sie………?」(・・・・・してよろしいですか)などという言葉で始まる質問が書かれていたが、演劇や映画を除けば、ドイツでこのような丁寧な言葉を聞くことはめったにない。特に若者の間では、言葉の乱れが目立つ。

 たとえば、ドイツ人の知人Aくんの口癖は「geil(ガイル)」。これはもともと「淫らな」という意味だが、今日では「かっこいい」という意味で使われることが多い。

また、若い女性でも「
Scheisse(くそ)」なんていう言葉を平気で使っているから、げんなりさせられる。

ある国について幻滅するには、その国に住むのが一番手っ取り早いようだ。

 ただし言葉が乱れているのは庶民だけではない。

シュレーダー首相も、イラクへの復興支援をめぐり連立与党のパートナーである緑の党の議員が、首相の意思に反する発言をしたところ、「
Es ist zum kotzen(反吐がでそうだ)」という言葉を使って、この議員を批判した。

あまり一国の代表には公の場で使って欲しくない表現である。

 どの言語にもあてはまることだが、ドイツ語は話すよりも、書くほうがはるかに難しい。

ドイツで生まれたトルコ人
Bさんは、家ではトルコ語で話しているが、ミュンヘンで学校に通い、ドイツ人の友人も多いので、なまりのないドイツ語を話す。

電話で話すとトルコ人とは思えないほど流暢だ。ところが、文章を書かせると、文法は間違いだらけだった。

(もっとも、14年もこの国に住んでいるのに、私のドイツ語もいまだに間違いが多いので、他人のことは言えないのだが・・・・)

 また、英語を文章の中に混ぜる人が増えていることも、ドイツ語の乱れを象徴している。日本でも、日本語で表現できる言葉を、わざわざ片仮名の奇妙な英語で表現する人がいるが、ドイツでも似た現象がある。

これは、外国と関係のある仕事をしている、ドイツ人の会社員に多い。

ドイツ語の不定詞は語幹に
enが付いているので、英語の単語にこの語尾を付けて、ドイツ語の動詞にしてしまうのだ。たとえばコンピューターに関する会話の中では、forwarden(転送する)とかsaven(保存する)などという言葉が、ごく普通に使われている。

ああ、ゲーテやシラーの美しいドイツ語は、いったいどこへ行ってしまったのでありましょうか。

(文と絵・熊谷 徹 ミュンヘン在住)

保険毎日新聞 2004年6月2日