イスラエル紀行・7 玉砕の砦・マサダ
死海の西岸の、切り立った岩山。
見渡す限り、木も草も生えておらず、中東の厳しい日差しを遮る物は、何もない。
地上440メートルのこの岩山の上に、古代ローマとユダヤ人の抗争の爪痕が残っている。
約2000年前、ローマ人に委託されて現在のイスラエルにあたる地域を支配したヘロデ王は、この場所に離宮を作らせた。
彼がエルサレムから遠く離れたマサダを選んだ理由は、戦争や謀反が起きた時に、難攻不落の砦でもあるこの岩山に閉じこもるためである。
ヘロデ王は、この山の上に、プールやローマ風の蒸気風呂まで作らせたほか、乾燥地帯で籠城できるように、岩盤をくり抜いて貯水槽も作っていた。
今も離宮の半円形の外壁、ローマ風のモザイクの床や、風呂場の跡が残っており、2000年前の権力者の豪勢な暮らしぶりが偲ばれる。
さて紀元66年に、ユダヤ人がローマの圧政に対して反乱を起こし、女性や子どもを含む967人のユダヤ人たちが、マサダの頂上の砦に立て籠もった。
ローマ軍はエルサレムを占領してから3年後の紀元72年に、1万5000人の兵士を送ってマサダ攻略戦を開始した。
この岩山は周囲が断崖絶壁になっているので、下から攻めるのはかなり難儀であり、頂上にいる者にとっては、守りやすい。
967人のユダヤ人たちは、5ヶ月間にわたって勇敢に戦い、攻撃をはねのけた。
だがローマ軍はユダヤ人の奴隷を使って、傾斜のついた突撃路を建設し、マサダの頂上の城壁に肉薄してきた。
ユダヤ人たちは、ローマ軍の手に落ちて奴隷になったり、処刑されたりするよりは、死んだほうがましだと考えて、くじ引きで選ばれた10人の男たちが、957人を殺害した。
さらに10人の内1人がくじで選ばれて、他の9人を殺した後、自決している。
ローマ軍がスロープを駆け上がって、城壁を突破した時には、ユダヤ人全員が死亡し、穀物倉庫には火がつけられていた。
近代の発掘調査で、ユダヤ人たちが殺害役を選ぶためのくじ引きに使った、陶片が見つかっている。
「生きて虜囚の辱めを受ける」よりは、死を選んだユダヤ人の闘志は、今日でも人々の心に刻まれており、イスラエル国防軍は、「マサダは二度と陥落しない」というスローガンを使った宣誓式を、この場所で行うこともある。
こうした遺跡にも、ユダヤ人が異民族の圧制者と戦った歴史が色濃く残っており、その精神が現代人にまで受け継がれているところが、実にイスラエルらしい。
(イスラエル紀行・完)
(文と絵・熊谷 徹 ミュンヘン在住)
保険毎日新聞 2005年11月