トルコ紀行(3)ビザンチン美術の宝庫
イスタンブールの聖ソフィア大聖堂は、およそ1500年前にキリスト教の聖堂として建てられたが、15世紀にコンスタンチノープル(イスタンブールの旧名)を占領したオスマン・トルコによってイスラム教寺院(モスク)に改造された。
迷路のような階段をのぼって、美しい列柱が並ぶ回廊にたどりつく。私の目は、北側の壁面に残っている一枚のモザイク画に釘付けになった。洗礼者ヨハネと聖母マリアの間に立つ、キリストの肖像である。
その表情は決意と威厳を秘め、生き生きとしている。陰影の付け方が自然で、モザイク画によく見られる生硬さがない。
14世紀初頭に制作されたこの作品はビザンチン美術の最高傑作の一つと言われている。壁画の下部3分の2が失われているのは残念である。
さらに「皇帝の門」と呼ばれる入り口の上部にも、聖母マリアに教会の建物とコンスタンチノープルを捧げるローマ皇帝たちが描かれている。このモザイク画は10世紀末の作品で、キリスト像に比べると人物の表情や姿勢がやや硬い。
創建当時、聖ソフィアの内部はこのようなモザイク画で覆われていた。だが8世紀に皇帝レオン3世が聖像画を禁じたために、多数のモザイク画が撤去された。
その後修復されたモザイク画も16世紀にオスマン・トルコによって漆喰で塗りつぶされてしまった。
イスラム教も偶像の崇拝を禁じているからである。
漆喰の上にはイスラム教徒が幾何学模様などを描いたが、壮麗なモザイク画に比べると稚拙である。
現在残っているモザイク画は、20世紀に漆喰を剥がして発見されたもので、ビザンチン時代に制作された物に比べるとほんの一部にすぎない。
イスタンブールの旧市街から西に車を20分ほど走らせると、住宅街の真ん中にビザンチン風の小さな丸屋根を頂いた教会がある。4世紀頃にキリスト教の聖堂として建てられたコーラ修道院だ。
16世紀からモスクとして使われたために、聖堂の横にイスラム教の寺院につきものの尖塔(ミナレット)がある。ここには聖ソフィア以上に数多くのモザイク画やフレスコ画が残っている。
しかも小さな建物なので美しい壁画をすぐ目の前で鑑賞できる。だがこの教会のモザイク画も聖像画を敵視する指導者たちの犠牲となった。聖堂の中心のホールではモザイク画が完全に剥がされており痛々しい。貴重な芸術作品が宗教上のイデオロギーのために永遠に失われたのは残念だ。
このようにイスタンブールはキリスト教文化とイスラム教文化の相克の現場を目撃できる町なのである。(続く)
(文と絵・ミュンヘン在住 熊谷 徹) 筆者ホームページ http://www.tkumagai.de