モスターの橋(1)
今年4月上旬、私はボスニア・ヘルツェゴヴィナ共和国の首都サラエボから、南へ135キロの所にある古都、モスターへ向かっていた。
車は、険しい岩山に挟まれた渓谷を流れる、ネレトバ川に沿って、傾斜やカーブの多い山道を走る。
目の覚めるような緑色のネレトバ川は、時にたっぷりとした水量を持ち、また時には急流となって、南へ向かう。
この地域は、ユル・ブリンナー主演の戦争映画「ネレトバの戦い」で世界的に有名になった場所で、第二次世界大戦中に、ドイツ軍とチトーに率いられたユーゴスラビアのパルチザン部隊が、死闘を繰り広げた。
実際、パルチザンが橋を爆破してドイツ軍の前進を食い止めたとされる、ジャブラニツァには、橋の残骸が渓谷に残っているほか、ドイツ軍から捕獲した戦利品、150ミリ榴弾砲や、記念館が置かれている。
チトーが生きていた頃には、カリスマ的指導者の偉業を讃える、聖廟のような場所だったのだろう。
ユーゴの「パルチザン神話」は、ここで生まれたのである。
ジャブラニツァからさらに南へ30分走ると、モスターの町に入る。
ネレトバ川沿いに旧市街を歩くと、美しいアーチを描く石造りの橋が、目に飛び込んでくる。
橋の高さは、25メートル。石材の白さと、川面の緑色のコントラストが、脳裏に刻まれる。
16世紀に、この地域がオスマントルコの一部だった時代に、トルコ人建築家が設計した「スターリ・モスト(古い橋)」である。
モスターという町の名前も、ヘルツェゴヴィナ語の橋(モスト)という言葉から来ている。
モスターには、8つの大きなモスク(イスラム教寺院)がある。
旧市街を歩いていると、朝な夕なに、ミナレット(尖塔)から「アラーは偉大なり」という祈りの声が響き渡り、中東にいるような錯覚に陥る。
ここでは、ヨーロッパとイスラム世界が混ざり合っているのである。16世紀に建てられた、「カラジョズ・ベグ・モスク」の中に入り、ミナレットに登ってみた。
眼下に、ネレトバの急流と、スターリ・モストのアーチ、そして旧市街のくすんだ色の屋根が広がっている。
しかしこの美しい橋は、2004年に再建されたものである。16世紀に作られたこの貴重な文化遺産は、1993年にこの地域をゆるがした内戦で、クロアチア武装勢力の砲撃を受け、無残に破壊されたのである。
ネレトバ川を挟んだ町の東側には主にイスラム教徒が、そして西側にはクロアチア人が住んでいた。
それまで同じ町の住民だった彼らは、旧ユーゴスラビアの各地で内戦が始まると、町の主導権を確保するために、武器をとって殺し合いを始めたのである。(続く)
(文と絵・熊谷 徹 ミュンヘン在住)
保険毎日新聞 2006年4月