モスターの橋(2)
私はボスニア・ヘルツェゴヴィナ共和国首都サラエボを何回も訪れているため、内戦で損傷を受けた建物は、すでに何度も見ていた。

しかし、南部の主要都市モスターの荒廃ぶりは、サラエボをはるかに上回るものだった。

1990年代の前半に吹き荒れた内戦では、町の東半分に陣取るイスラム教徒と、町の西側に住んでいたクロアチア人たちが戦ったが、両軍はアレクセ・サンティシャ通りとアデマ・ブシャ通りをはさんで、対峙していた。

つまりこの通りは、市街戦で最前線となったわけだが、この通りには、戦争が終わって11年経った今も、破壊された建物が無数に残っている。

ある建物は、砲弾の直撃を受けて、外壁が崩れたままになっている。

別のアパートは、砲撃のために、一部の壁を残して瓦礫の山となっている。

ある建物の壁は、無数の機関銃弾を浴びて、蜂の巣のようだ。

現在
EU(欧州連合)の指導の下に、この通りの団地を再建する作業が行われているが、作業は遅々として進まない。

ネレトバ川に面した高級ホテルも、廃墟と化したまま、再建のめどは立っていない。

国営石油会社「エネルゴ・ペトロール」社のビルも、砲撃による火災で破壊され、廃墟になっていた。

巨大な銀行の建物も、全てのガラス窓が破れ、廃屋となっている。

普通に営業している洋品店やスーパーマーケットの間に、荒廃した建物が残っているのは、超現実的な風景である。

破壊された建物が林立する風景は、第二次世界大戦中のスターリングラードや、内戦下のベイルートを思い出させる。

サラエボには、壁に弾痕が残っている建物はあるが、モスターのように、砲撃を受けて瓦礫の山となった建物が、並んでいる地域はない。

しかも戦火がやんで、10年以上経っているというのに。

16世紀に建立されたモスク(イスラム教寺院)も、クロアチア軍の砲撃で徹底的に破壊されたため、現在の建物は再建されたものばかりである。

あるボスニア人は言う。「これでもモスターは良くなった方です。私が内戦終結直後の1996年にモスターに来た時には、気分がひどく落ち込むほど、市街地がすさまじく破壊されていました」。

そう考えると、少なくとも16世紀に建造されたスターリ・モスト(古い橋)と、周辺の旧市街が再建されたのは、喜ばしいことである。

この地域は、ユネスコ(国連教育文化機関)によって、世界文化遺産に指定された。薄い石の板を屋根に載せた、独特の建築。噴水やせせらぎの音を聞き、モスクの白い尖塔を見ながら、自動車の通らない路地を散歩すると、イスラム文化圏だった中世のモスターの面影がよみがえってくる。

(続く)

(文と絵・熊谷 徹 ミュンヘン在住)

保険毎日新聞 2006年4月