ミュンヘンの自然

「バイエルンの狂王」と呼ばれたルートヴィヒ2世が生まれた、ミュンヘンのニュンフェンブルク宮殿。

その正面に、長さ1キロの水路がもうけられている。疏水(そすい)沿いに植えられた街路樹や青空、周囲の邸宅が、水面に姿を映し出す。

水路は、白鳥や鴨など、たくさんの種類の水鳥、鯉や蛙の生息地になっており、鳥獣保護区に指定されている。

私は、毎週少なくとも2回、この水路沿いの道をジョギングする。ここを走る大きな楽しみは、ささやかな自然の営みを見られることだ。

ある日、二人のいかつい感じのドイツ人男性が、道に立ち止まって、水路をじっと眺めているのに気づいた。

二の腕が太く、労働者風の人々である。私も、ジョギングの足をゆるめる。

彼らが見ていたのは、水鳥の夫婦が疏水の真ん中に作った、巣であった。全身が黒く、頭とくちばしだけが白いこの鳥は、木の枝やわらを集めて、疏水の浅いところに巣を作っていたのだ。

水の中に巣を作れば、猫やテンなどの動物、心ない人間に卵を奪われることがないからだろう。

巣のてっぺんには、卵が三個置かれている。その上に座っているのは、母親だろう。雄が周囲を流れてくる草や小枝を拾っては、雌鳥に渡して、巣を高くしようとしている。

労働者風の男が言った。「雨がたくさん降って、水位が高くなると、巣が水の中に沈んでしまう。

だから、親鳥が巣を高くしようとしているのだよ」。二人とも、卵が水の中に沈んでしまうのではないかと、心配そうである。

二の腕が私の太股よりも太いこの男は、わらを拾って、水際に降りていく。

彼はわらを水路の上に投げてやったが、親鳥がキャッチする前に、わらは水の流れに押されて、巣から離れてしまった。「うまくいかないな。がんばって巣を作れよ」と男は水鳥に声をかけて、連れの男とともに立ち去った。

屈強そうな二人の男たちが、真剣に小さな水鳥の心配をしているのが、私には何となく微笑ましく感じられた。

反対側の岸辺には、今年も白鳥の夫婦がわらを寄せ集めて巣をつくり、卵を守っている。

付近の住民たちは、白鳥のために、水の容器を置いてやっている。ミュンヘンの人口は、東京のおよそ30分の1。

しかし、市民一人当たりの緑地の面積は、東京の10倍である。住宅街の中の、ちょっとした自然は、忙しい日常生活の中で、ささやかなオアシスとなっている。

(文と絵・ミュンヘン在住 熊谷 徹)筆者ホームページ http://www.tkumagai.de

保険毎日新聞 2007年7月